水戸の徳川ミュージアムで、光忠さんが公開されてたので、いってきました!
品川から特急で90分ほどの気軽な日帰り旅。

水戸駅からバスがわかりにくいかな〜、タクシーかな〜と思ってたのですが、お仲間らしきお嬢さんがたがバス停にいたので、迷いませんでしたw

小雨の中、館への入り口前に列待機。
小一時間ほど待ちましたが、ひとりでぼーっとしててもそれほど苦ではありませんでした。



館内は撮影禁止なのですが、あとで羽田に出張展示されたときの写真貼りますね。(そっちは撮影OKだった)

光圀、齊昭公関連の資料や、大名道具なども面白く見ながら、最後に燭台切の展示。 
ガラスケースの正方形のテーブルに児手柏と共に展示されてます。 
児手柏のほうが反りが綺麗な弧を描いてるかな〜と思いました。 
燭台切はちょっとまっすぐめに来て、最後に反っている感じ。 
もう一振り、同じように黒くなった刀が展示されてました。 
 
水戸は定府で、藩主はあまり水戸藩には戻らなかったとか、初代の遺訓で「天皇を敬え、将軍は単なる身内だ」みたいなことがあったとか、興味深いことも。 
 
それにしても、『大日本史』って、光圀から初めて、明治になっても編集し続けてて、明治39年にやっと全397巻が完成って、どれだけ気の長い大事業なの・・・ 

水戸黄門の台本なんかも展示してあり、面白かったです。



それから、ちょっと歩いて偕楽園へ。



園内にも、いろいろあり、竹林や林のようなところも。

好文亭も入りましたが、面白かったです。 




お部屋の襖絵がすごく好みだった。 
「つつじの間」「桜の間」みたいに部屋ごとに描かれてた(昭和30年の復元の際、田中青坪が描いたそうです) 



太鼓橋状の渡り廊下を渡ると、奥のほうにつながっていて、板敷大広間があったり、階段を上がると眺望が綺麗な三階がありました。 





三階からの眺め。

大広間には庶民も招いたりしたらしいけど、「養老の催しは、諸士は80歳以上、庶民は90歳以上の者を招いた」ってあるんだけど、江戸末期で90以上って・・・!?  


偕楽園を抜けると、常盤神社。
光圀、齊昭が祀られています。



藤田東湖が祀られている社もあります。
 


なんか学者のイメージだったけど、齊昭公の片腕だったんですね。
 
宝物館的な「義烈館」(光圀が『義公』、齊昭が『烈公』と諡されてるから)もあり、「もう閉めるんですけど」という時間だったのですが、「10分で見てください」とご厚意で見せてもらいました。 
大砲や陣太鼓の大きさに圧倒された。 


弘道館は行ってる暇がなかったので、また次に期待。




おまけ。
羽田空港の一角にある展示スペースに、光忠さんが展示されたときの写真を。





このときはめっちゃじっくり見られたし、写真もOKだったので、とてもとても堪能しました。



      


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