お誘いがあって、クラブツーリズムのツアーに参加してきました。 9:15、万願寺の駅に集合。 参加者は老若男女とりまぜ、23名。 コンダクターの若い女性と、ガイドしてくださる年配の男性がついて、ぞろぞろと土方資料館へ。 開館前にかぶりつきで兼定を見て、土方愛さんのお話を聞くという贅沢です。 4代め兼定から会津にいって、11代が容保公に従って京都に行ってたとか、 表銘に和泉守兼定とあり、長くないのは珍しい、裏銘に慶応三年二月日とあり、干支がないのは珍しい・・・とか。 届けられたときは、物打ちに刃こぼれがあったが、そこから損傷するのを恐れて、昭和の初めに研ぎに出したので、今は傷はない。 関の孫六に代表される、三本杉に近い刃紋があるが、三本杉よりさりげない、 柄の損傷具合で、今の現代剣道とは違う握り方をしてたのがわかる、とか 鞘のほうにも傷が(これは目視できる)、とか あと、土方さんの写真2タイプのうち、全身のほうにはピストルケースが確認できるが、それでも刀は手放さず差していたのだ、とか。 お話のあと、少し館内を見る時間がありましたが、そのさいも話しかけてくださって、下緒も機械化以降のものは太さが違うので、見ると当時のままのものなのが分かる、とか面白い話を聞くことができました。 あと、島田さんの脇差が行方がわからなくなっていたのを、近年発見され、ご縁あって展示できたとか。 榎本さんが書いた土方さんの人となりを現した書を、ずっと仏壇の上に飾っていたのが、燻されて変色していたので、裏打ちなど修復してもらったとか。 展示品に関する資料が冊子化されていたので、購入。 あと、門のところで、高幡まんじゅうの出店が出ていて、石田散薬(というゴマまんじゅう)を買いましたw 土手を歩き、ガイドの先生が「これが牛角草(石田散薬の材料)ですかね」と。 次の日の日曜に石田散薬の体験会があったそうですが、300人限定の整理券、なかなか競争が激しかったようです。 あと、1日で採取して、1年乾かしておくんだそうな。 それは、人海戦術で一気にやらなきゃですよね・・・。 土手のすぐそばに石明神社。 観光協会のHPによると 「この神社は旧新井村の鎮守でした。と同時に古くから土方歳三が生まれた隣の石田村の鎮守にもなっていました。 江戸時代の初期、多摩川の大洪水によって、石田村は北方の村域と共に、鎮守である御伊勢の森を流失してしまったのでそれ以後、村内に鎮守を持つことことができず、隣の新井村石明神社の氏子となっていたのです。この関係は今も続いています。」 こちらは土方家が拝んでいたという、とうかん森の稲荷跡。 今は稲荷はありません。 この近辺に土方家があったのが、洪水で流され、残った家屋を現在地に移転しているそうです。 石田寺。 土方さんの顕彰碑。 遺髪が納められたというお墓。 土方家はお墓はこちらで、法要は高幡不動なのだそうな。 高幡不動の駅へ移動し、大急ぎでお昼を食べてから、再集合。 高幡不動へお参り。 土方さんの像と、近藤さん土方さんの「殉節両雄之碑」 下の書は松本良順で、上は容保公。 幕軍の弔いが許されるようになったあとも、なかなか進まず、この地方で自由民権運動があったりもして、完成したのはずいぶん遅かったそうで明治21年だとか。 不動明王、鳴龍、など、見所も多いのですが、なにぶん自由時間がちょっとしかなかったので、奥殿をダッシュで見ました。 重文の展示物や、奉納された絵など、ゆっくり見たかったのですが、土方さんの手紙などに絞って拝見。 「高幡不動尊の新選組関連資料」という冊子があったので、購入。 そこから路線バスに乗って、新選組ふるさと歴史館へ移動。 学芸員の方に15分で解説してもらうという(苦笑されてましたが)土方さんの生涯展示。 「資料から見たその実像」 京都時代はばっさり圧縮したそうですが、西本願寺の分厚い記録などがあって、土方さんがどう交渉したのかなどが伺えるとか。 あと、不動村への移転の前に、西九条?へ移転した(か、計画があった)可能性も・・・ 草津(だっけ)に泊まったときの大福帳などもおすすめされました。 しかい、やはり滞在時間が短く、あまり資料も見ている暇がなかったので、リベンジしに来たいところ。 そこから日野宿本陣へ。 これだけの式台を持つところは珍しいそう。 文久3年の棟上げなので、土方さんたちとはちょっとすれ違ってますが。 http://makoto.shinsenhino.com/archives/place/050401154604.php しばらく放置された挙句の大修理、そしてしばらくは蕎麦屋だったのですね。 私が前に訪れたのは大河ドラマのころで、そのときはもう本陣として公開されていました。 大昌寺。 佐藤家の墓所。 八坂神社。 奉納された剣術額に近藤(島崎)勇、沖田総司が入っているという。 ここの神紋は左右違いのやつで、右のが特に面白いのだとか。 宝泉寺 井上源三郎の墓。 甥の泰助が首を埋めた寺の名は、泰助が子の嫁に告げ、その嫁が亡くなる前に周りの人が聞いたところ、近所のお寺の名前を言うので、「おばあさんはボケてしまった」と思っていたのだとか。 ところが、同じ名前のお寺が千両松と淀の間にあったそうで、そちらのことかと最近になって判明したそうです。 http://genzaburo.web.fc2.com/tobahushimi.html こちらでツアーは終了、解散になりました。 駅の前で、コンダクターさんと少しお話しましたが、鶴丸審神者さんでしたw 駅のそばの居酒屋さんで夕飯。 お通しとしてお刺身が出てきてびっくり。 白身魚のフライもハーフでもびっくりの盛りだったり、まかない飯のマーボーご飯も美味しかったし、いいお店でした。 |
|
見聞録へ |