この手で出来ること


戻ってきたときも、始まりと同じように雨が降っていた。
まるで、何事もなかったように。
火の中に消えていった者たちの記憶を覆い隠すように。

握り締めていた手を、のろのろと持ち上げて、こじ開ける。
ほのかに真珠色に輝く、鱗を見つめて、麻痺した頭で望美は考えた。
考えなきゃいけない。
何を?
どうしたらいいか。
何が?
これから、どうしたらいいか。

容赦なく雨は彼女を濡らしていくが、頭の中は未だに炎の中にいるように熱い。

これから?
どうしようと言うのだ、自分は?

たとえば、うちに帰って、布団をかぶって眠ってしまったら。
目が覚めたら、全部夢かもしれない。
そして、いつもみたいに、「遅刻よ!」という母親の声に押されて、トーストをくわえたまま飛び出して。
「よ、望美」
「先輩、今日も朝ご飯食べてる暇がなかったんですか?」
門を出たところで幼馴染たちと遭遇して・・・

そこまで考えて、望美ははっと目を見開いた。
・・・夢だったらよかったかもしれないけれど・・・
これは夢ではない。
明日の朝起きても、将臣と譲に会えることは・・・ない。
二人は、まだあの世界に―炎の中に取り残されているのだから。

真珠色の鱗を載せた、自分の掌。
そこには、刻まれた時間の跡がある。
剣を握り、戦ってきた跡が。

「夢じゃ・・・ない・・・」

異世界に飛ばされたのも。
金の髪をなびかせ敵陣に斬り込む背中を追いかけられなくて、絶望したのも。
炎の中に、仲間を置いたまま・・・自分一人ここにいるのも。

「現実・・・」

しとどに濡れた髪は頬に張り付き、逆鱗を握る掌は体温を奪われすっかり冷え切っていた。
灼熱のまま取り残されていた思考も、ゆっくりと冷えて、冷たい慙愧の念が心を切り裂いていく。
ぎり、と強く掌を握り締めると、硬い鱗が掌中にゆるい痛みをもたらした。

皆、消えてしまって。
自分一人が、ここにいる。
そのことを、掌の痛みは責めているように感じた。

会いたい・・・
皆に、気の置けない幼馴染たちに、優しい仲間たちに。
失ってしまった、あの遠い背中に。

冷たい雨が顔を濡らしていたから、望美は自分が泣いているのにしばらく気がつかなかった。
立ち尽くしたまま、掌の痛みだけを確かな実感として、感じている。

どうしてこんなことになったのだろう。
もし、何かが違っていたら・・・
自分がもっとちゃんと出来ていたら・・・
そうしたら、違う道があったのだろうか?

「・・・」
りいん、と微かな音の響きがしたような気がして、目を上げる。
痛みを感じていた掌に、温かさを感じて手を開くと、白い鱗が柔らかい光を放っていた。
優しい龍の力の源。逆鱗。

「ひょっとしたら・・・」
望美は掠れた声で呟いた。
昔、将臣と譲が、二人してSF小説にはまっていたことがある。
そのとき、二人はとくとくと望美に、今どんな話を読んでいるかを語ったものだった。
宇宙の片隅にある、人類とは違う生物の存在する星、未来の世界のロボット、タイムマシンで過去へ行く・・・
現在を変えるために、過去へと赴く男の話。
「変えることが出来る・・・?」

もし、先に起こることを知って、その場に居たならば。
違う選択をすることも出来るかもしれない。
違う道へ進むことが出来るかもしれない。
もしかしたら。
自分の手に、皆を、あの人を救う手段が残されているのかもしれない。

本当に、そんなことが出来るのかは分からない。
逆鱗が、もう一度、自分をあの世界に運んでくれるのかも。
そして、もう一度あの世界に行ったとして、自分に何が出来るのかも。
それでも。

新旧の傷が刻まれ、固くなった自分の掌と、その上に輝く逆鱗を見つめ、望美は口にする。
「もう一度、あの世界へ」

この手に何が出来るか分からなくても。
掴めるものが、何かも知らなくても。
ただ、大事な人たちの笑顔を、命を・・・この手の上に救えるチャンスがあるのなら。

「私に時空を越えさせて」

龍の鱗が輝き、光を放つ。
光が収まったとき、雨と闇に包まれた渡り廊下に、人影はなかった。






ずっとお題に挑戦してみたかったんですが、数が多いとこなせそうにないので躊躇していました。
今回、これくらいなら出来るかな、と思い切って挑戦。

一人で現代に戻されて、もう一度戻ることを決意するときって、すぐに
「今なら助けられる」って思えないような気がしたんです。
だって、剣を振るう力が、神子の力があっても、一度は全てを失っているんだから。
それでも、方法は分からないけど、飛び込んでいく。
そんな感じかなと、思いました。
・・・でも、これ玄武のお題なのに・・・カップリングの気配がなくて、神子しか出てない・・・^^;





お題へ