遠い存在なんて認めない


―戻ったのは、あの倶利伽羅の夜だった。



前と同じように、先生は闇の中へ消えてしまう。
(変えられない・・・)
私は、泣きそうな思いを必死に押し殺し、暗い森の中に目を凝らして先生の影でも捉えられないかと彷徨った。
森の奥に足を向けたとき、不意にりいんと空気を揺らす振動が伝わってきた。
腕輪が。
腕輪の欠片が鳴っている。

導かれるように歩いていくと、重い空気の中を通り抜けたような感覚とともに、目の前が開けた。
闇を裂く炎光と、煙の匂い。
あちこちであがる悲鳴と、軋るような怨霊の唸り。
小さな村は炎に包まれていた。


炎の夜は、あの最期の京を思い出させる。
何もかもが、炎と崩れ落ちる館の中に消えたあの日を・・・。

無我夢中で、私は怨霊を封印していった。
かあっと熱くなった頭の中で、芯にだけはどこか冷静な部分がある。
それが、毎日稽古を重ねて身体が覚えこんだ動きを、無意識のうちに実行させる。
そう、こんなときでも、助けてくれるのはやはり先生の教えだった。

気がつけば、辺りはすっかり炎に包まれ、動いているのは怨霊武者ばかり。
(く・・・!
ここでも、私には何もできないの!?)

焦りに突き動かされ、燃え落ちる家の角を走り抜けたとき、視界に動くものの影が映った。
大きく刀を振りかぶった怨霊武者の前に、金の髪の少年が蹲っている。
「やあっ!」
勢いを殺さず、振り抜いた剣を受け、怨霊は崩れ去る。

「大丈夫?」
少年の前に膝をついて、問い掛けると見開かれた蒼い瞳に、煤に汚れ、炎の照り返しを受けた自分が映った。
「立てる?」
まだ辺りをうろついてる怨霊が、こちらに向ってくる。
私は少年の手をとって、炎の無い方角へと走り出した。



火と怨霊を避け、村外の林に逃げ込んだ私たちは、やっと足を止めた。
力を失った少年の膝が、がくんと崩れ倒れ込むのを、慌てて支える。
「う・・・」
呻いた少年の頬から首にかけて、痛々しい火傷になっている。
どこかに水でもないだろうか、冷さなければ・・・と見回してみるが、暗い木立に遮られて辺りの様子は判らない。

「ごめんね・・・」
無力を噛み締めて、膝の上に抱いた少年に頭を下げると、少年はきょとんと私を見返した。
「どうして謝るの?助けてくれたのに」
村を焼かれ、ひどい火傷を負っているのに、少年は精一杯に微笑んでみせた。
それが一層切なくて、柔らかい金髪をくしゃくしゃと撫でる。
少年は恥ずかしげに、目を逸らす。 

「それ、なあに?」
ふと、少年が淡い光に興味をそそられたのか、私の首に下げられている逆鱗に手を伸ばした。
彼の手が触れた瞬間、激しい光芒が逆鱗から溢れ出た。
「!?」
私は目を丸くしたが、彼の蒼い瞳が見開かれたのは、私の驚愕とは違うものだった。
「お姉ちゃん!」
切羽詰った少年の声が、後ろ、と叫ぶ。
小さな身体が白い光に飲み込まれるのと、後ろから斬りかかってくる怨霊の刀とを、ほとんど同時に知覚しながら、疲れきった身体は動かなかった。
やられる・・・!

だが、怨霊の刀は私に届かなかった。
闇を切り裂く、金と銀の光。
悲鳴すらあげず、怨霊が霧散する。

呆然と見つめる私の目の前に現れたのは、漆黒の姿。
「神子・・・!!」
気付いたときには、強い腕に抱きすくめられていた。
(え・・・!?)
「・・・っ、無事か?」

「は、はい。先生のおかげで・・・」
「・・・。私ではなく、お前のおかげなのだ・・・」
「え?」
小さく問い返したけれど、先生は黙ったまま、きつく私を抱きしめていた。
「・・・」
先生の内で渦巻いている激しい感情が、触れた腕から伝わってくるような錯覚を覚えて、私はじっと息をつめていた。
それが何かは分からないけれど、先生はずっと一人で何かを抱えている。
本当に、触れれば伝わってくるものならばいいのに。
知りたい、と私は強く思う。
先生の思っていることを、抱えている重荷を、望みを。



しばらくして、そっと先生は腕を解いた。
「・・・」
沈黙が落ちる。
また答えずに行ってしまうのではないかと、怖かったけれど、私は意を決して口を開いた。
「教えてください、何が起こったのか。
この腕輪を受け取ったとき、私は悔やみました。
私は遅くて、全然間に合ってなくて、全部終わったあとで・・・。
そんなのは、もう嫌なんです」

「そうか、腕輪が・・・」
先生は、私が掌に乗せた腕輪の欠片を見て、得心したように呟いた。
「私が死ななければ、お前はここに来なかった。
お前がここに来なければ、私もまたここにいない・・・。
私を助けたのは、私自身の死か・・・」
感慨を噛み締めるように目を閉じた先生の内側で、先程の激情がすとんと何かの形に落ち着いたのが、なんとなくわかった。

そして、晴れ晴れとすら響く口調になって、
「私の死は避けられぬものだ」
そう言った先生の顔は、穏やかであまりにも透明だった。
それが哀しくて、理不尽だと知りながら、私は先生を責めてしまう。
「そんなあっさり言わないでください!」
自分の死を知っても、動揺しないなんて。
かえって、ほっとしたみたいに・・・。
怒りとも、悲しみとも、切なさともつかないものが胸の中に渦巻いたけれど、それを言い表す言葉を私は持たなかった。

もどかしさに震える私の頬に、一度だけそっと触れて、大きな手が離れていく。
そして、翻る黒い衣。

「私を追ってはいけない・・・。
在るべき場所へ帰りなさい」



ぼろぼろと、目から熱い雫が零れ落ちて、頬を滑っていく。
触れた手の、微かな感触がまだ残っているのに、その主はもう影も見えない。

納得できない、と心の中で何かが叫んでいる。
認めない、認めたくない。
先生が一人で何もかも抱えるなんて。
一人で抱え込んで、遠いところに行ってしまうなんて。
もう、手が届かないなんて。



ぐい、と涙を拭って私は空を睨んだ。

「・・・その言葉には従えません。
私の在るべき場所は、先生と同じところ。
だから―
追いついてみせます、絶対に」










「運命の輪」の辺りです。
望美ちゃん、とうとう開き直って決意の巻。
先生の気持ちや秘密にも薄々気付いて、それがゆえに追いかけることを諦めることが出来ない・・・という感じだと思ってます。

2005.7.3





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