腕時計


 「あ・・・」
気づいたときにはそれは動かなくなっていた。
左腕にしていた、腕時計。
花梨はそれを外して、しげしげと見た。
 「どうしたのかな。電池切れ?」
この異世界に召喚されたときから、その刻む時は意味のないものになっていたのだが、なんとなく外せずに いた。
両親が、入学祝いにと奮発して買ってくれた、お気に入りだったから。
  「長く使えるように、いいものにしましょうねって・・・買ってもらったときはシックすぎる、って文句言 ったっけ・・・」
シンプルな、だが使い込めば馴染んでくる上質なデザイン。
だが、この京にも慣れて、神子としての振る舞いにも馴染んだ最近は、文字盤に目をやることがなかった。
 「いつから・・・」
針は止まっていたのか。
元の世界との絆が断たれてしまう-そんな錯覚を覚えて、背筋がぞくりとした。

 「失礼する」
そのとき、近頃は聞き慣れた低く抑えた声がした。
その声に安堵を覚える自分をどこかで意識しながら振り向くと、泰継の端正な姿があった。
見るたびに、綺麗だなと思って見惚れてしまう、澄んだ雰囲気。
 
 「どうした?」
聞かれて、花梨ははっと我にかえった。
 「あ、いえ・・・気がついたら、時計が動かなくなっていて」
 「時計?」
 「あ、えっと・・・時間がわかる機械のことで・・・これのことなんですけど」
花梨は手に持っていた腕時計を見せた。
 「ほう・・・お前の世界ではこのように小さなからくりで時を計れるのか。
陰陽寮では何十名と漏刻博士 と寮生がいて、交代で水時計を管理しているのだが・・・」
泰継は興味を示して、身を乗り出してきてそれをじっと見つめた。
 「あ、で、でも、壊れちゃって、動いてないんですよ!」
時計に視線がいっているのは分かっているが、端麗な顔を寄せられて花梨の心臓はどくん、と鼓動を早める。
視線を逸らすために、慌てて時計を文箱の中に放り込んだ。
 「さ、今日も四方の札を探さないと!行きましょう!」
立ち上がり、泰継を引っ張らんばかりの勢いで部屋を出て行く。
だから、花梨は見なかった。
泰継が振り返って置き去られた時計に暗い陰のある眼差しを注いだのを。





 「行くよ、神子殿」
 「はい!」
花梨たちは怨霊と対峙していた。
髪を振り乱し、正気を失った女の姿ー橋姫が挑みかかってくる。
  「星晶針!!」
神子から五行の力を受けて、翡翠が術を放つ。
  「があぁっ!!」
橋姫が怯み、揺らぐ。 
  「泰継さんっ!」
 「・・・っ、急々如律令、呪符退魔!!」
花梨から力が流れ込んで、己が力となり、気を練り上げ、術が発動する。
いつもなら無意識に滞りなく行われるその手順に、ひっかかりを覚えた。
  「!?」
放たれた力が橋姫に向かうが、普段の威力がない。
怨霊の動きを止めたところで封印をしようと、力を練ることに集中していた神子めがけて、怨霊の攻撃が 放たれる。
 「きゃっ!!」
 「神子殿!」
隙が出来た神子を、格好の標的と思ったか、橋姫は花梨に憑依した。
 
  「神子っ!」
  「だ・・・いじょうぶ。」
花梨は気丈に微笑んでみせ、怨霊に向き直った。
  「攻撃して」
 「しかし神子っ」
 「大丈夫だから」
戸惑う泰継を軽く制して、翡翠が流星鐘を構えた。
  「少し我慢できるかい、神子殿」 
  「はい」

 「はっ!!」
裂帛の気合とともに放たれた流星鐘は橋姫を捕らえた。
  「ぎゃあああ!!」
  「くっ・・・!」
その威力は憑依されている花梨にも返る。
だが、花梨はよろめく足を踏みしめ、顔を上げた。
  「巡れ、天の声。響け、地の声。彼のものを封ぜよ!」
彼女の身のうちから光が迸り、怨霊を捉える呪となる。
皓く眩い呪の陣が収束し、かたり、と札に封じられた怨霊が花梨の手の中に納まった。
 
  「ふう・・・」
途端によろめいて、くずおれそうになった花梨を翡翠が抱きとめる。
  「まったく無茶な姫君だね。あんまり我々の心臓に悪いことはしないでくれないかい?」
翡翠の軽口めかしたお小言も、「ごめんなさい」としおらしく謝る花梨の声も、どこか遠くに聞いて、泰継 は立ち尽くしていた。
(五行の力が・・・薄れている)
はっきりと言葉として認識した途端、それは恐ろしい呪文のように泰継の胸に食い込む楔となった。





(壊れた「もの」は捨てられる。 役に立たぬ道具になど用はない。
・・・では私は?)

動かなくなった「時計」を置き去って、振り返らなかった彼女。

(私も・・・ああして神子に去られるのか?この力が失せて、役に立たなくなって・・・)

 「もし私が使われもせず、役にも立たぬ道具に成り果てたら・・・そうしたら私はかわいそうかもしれない。」
かつて自分が言った言葉。

(役に立たぬ道具など・・・意味がない。神子の傍にいる意味が・・・)
泰継はきつく拳を握り締め、目を瞑った。





(力が・・・もはや扱えもせぬか・・・)
火之御子社で力の補充を試みていた泰継は、馴染んだ気配と軽い足音に振り返った。
 「ついてきたのか、神子・・・」
おずおずと花梨が姿を現す。
  「気になって・・・私、何かできないですか?」
 「私が消えるのは道理、お前が気にする必要はない」
あえて、冷静なふりでそっけなく告げたが、花梨は食い下がった。
 
  「どうすればいいの?どうすればあなたを助けられるの?」
  「私がいなくても、もうお前はやってゆける。あとの七人もお前を助ける」
  「・・・っ!違う!そういうんじゃなくて」
 「役に立たぬ私など要らぬだろう?」
吐き捨てるような強い口調とはうらはらに、色違いの瞳は揺れていた。
恐れと不安に。

 「神子は動かなくなった『時計』を捨てただろう。
私も・・・力を失くし、役に立たなくなる・・・。
神子はそのような役に立たぬ道具はもう要らぬだろう?」
  「なっ、何言ってるんですか!?」
花梨は心底驚いた、という顔をしている。
  「泰継さんは道具じゃないって言ったでしょう!?」
 「だが・・・力を失くした私は役に立たぬ。神子を守ることが出来ぬ」

  「・・・」
花梨は背の高い、だが今はまるで、泣きそうな子供のような顔をしている陰陽師を見上げた。
躊躇いがちにそっと手を伸ばし、その頬を包んだ。
  「貴方がそこに居るだけで・・・私は守られてるって感じる。
いつも、貴方は私を守ってくれる。安心させてくれる・・・。
一緒に居たいだけ。
それだけで・・・」
  「神子・・・?」

 「それに言っておきますけど、私、時計捨てたりしてないですよ!」
花梨は自分の左腕を差し出して見せた。
そこには少しばかり大人っぽいデザインの銀の腕時計がはめられている。
  「捨てたりしないですよ?私には大事なものだから」
  「役に立たなくてもか」
 「役に立つとかじゃなくて・・・両親の想いがこもった大切なものだから。」
もどかしげに、花梨はじっと泰継の瞳を見た。
 「誰かにものをあげるっていうのは、「あなたのことを想っているよ」っていう気持ちを伝えるためだから・ ・・
そうしたら「もの」は単なる「もの」じゃなくなって・・・
誰かの想いを感じるための扉になって・・・
見るたびにその人のことを思い出す・・・。
  えっと・・・うまく言えないんですけど」
ぽつぽつと、言葉を探して呟いていた花梨は少し照れたような笑顔をむけた。
  「心の役に立つんです」

不思議そうな顔で花梨の言葉を聞いていた泰継だったが、彼女の笑顔を向けられて、つられたように目を 細めた。
子供のように無垢な、透明な微笑。
  「それならば、私も神子の心ごと神子を守ろう。
神子の役に立とう・・・」

元の世界に帰れなくても、構わない・・・その決意が、花梨の心に芽生えたのは、このときだった かもしれない。
  「何が出来るわけではないけれど、そばにいます・・・」
  「―神子。何もいらない、ただ・・・」
泰継の腕が花梨を引き寄せた。
  「そばにいてくれ・・・」






後日、何事にも素直な(そしてちょっとずれた)彼が、毎日神子に贈り物攻勢をしたことは、また別の話。
  「想っている証に贈り物をするのだろう?」
  「毎日じゃなくてもいいんですっ!」
  「これでも私の想いを伝えるのには足りない」
  「や、泰継さんったら・・・」





追加応援イベントの「役に立たなくなったらかわいそうかもしれない。今はまだそうではない。
だから、 私はかわいそうではない」発言が!インパクト大!
ここからなんとなく出てきたお話。
4段階イベントからめようと思ったんですが(基本的にゲーム本編の枠はできるだけ外したくないので) 上手く繋げられなかった・・・。
でも、あの花梨を引き寄せて眠っているスチルがすんごく好きなんですよ・・・。




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