欠けても満ちる月


惹かれ始めたのを自覚したのはいつだったろう?
軽やかに天から舞い降りてきた少女に、捕らわれる己を、しかし認めたくはなかった。
執着などしたくないと思っていたから。
自分を、自分が一番信用していなかったから。
それでも、彼女はあまりにも無邪気に自分を、自分の言葉を信じてくれる。
そしてあまりにも素直に自身の心をさらけだす。
それが、眩しくて・・・光を恐れる魔物のように、立ち竦んでいる・・・。





 「神子殿、少し外でも歩かないかい?」
翡翠が誘いに来たのは、日が沈み闇が支配し始めた時刻。
澄んだ色をした月が冴え冴えと空にかかっていた。
 「そうですね、今日は月が綺麗ですね!お月見でもしましょうか」
花梨は答えて翡翠と二人、散策に出た。


遮るものもない、高く広がる空。その天空高く月は優美に君臨する。
その下を二つの影が歩いていく。ひとつは軽やかに跳ねるように歩く小柄な影。
ひとつは風のような身のこなしの長身の影。


 「綺麗な月って人恋しくなりません?」
首を傾げて、彼女が言う。
月にいるという兎もここまで可愛らしくはないだろう。
だが、その可愛らしさが翡翠の心をざわつかせる。苛立ちに似た感情が心を掠める。
 「月を見るとなぜか翡翠さんを思い出します。」
月を見上げ、照れたように彼女はそんな無防備な台詞を口にする。
ざわざわとした苛立ちが、抑えられなくなりそうで、翡翠は視線を逸らす。
(なぜ君はそう無邪気に・・・)

 「月などすぐに欠けてしまうよ。人の心と同じだ」
いつになく、冷たく素っ気無い返事と彼女の耳には響いたことだろう。
我知らず、硬い声が出た。この余裕の無さはどうしたことだ・・・と翡翠は内心自嘲する。

自分の心など信じてはいなかった。
今日好きだと思っても、明日には飽きているかもしれない。
そういった、自分にさえわからぬ明日の自分を恐れていた。
それは、優しい面を見せていたかと思えば、一刻の後には牙を向く海で暮らす者の
習性なのかもしれず。
生まれつき身のうちに抱え込む空洞なのかもしれなかった。
 「祭りの始まりのときに、祭りの後の寂しさを思い、浮かれぬように自制する・・・なんと
つまらない人間だろうね。
手に入れてもいないものを、失うことを恐れるとは・・・」


しばらく黙って聞いていた花梨はぽつりと呟いた。
 「『あの不実な月などに誓わないで』・・・か。」
 「なんだい?」
 「私の世界の異国の劇にあるんですよ、そういう台詞」
 「ふふ・・・うまいことを言うね」

くるりと振り返って、花梨はまっすぐな瞳に月を映す。
 「でも、私は月に誓うのっていいと思うんです」
 「なぜ?」
 「だって、月って欠けても、また満ちるじゃないですか」

言い切って、彼女はその瞳で翡翠を捉えた。
曇りなく、毅然とした眼差しが、彼に向かう。
 「・・・くっ・・・」
一瞬驚きに目を見開き、それから身を折って笑いだした翡翠に花梨がふくれる。
 「あー、なんで笑うんですかー」
 「ごめんごめん、・・・いつも君は私の予想の範囲を超えるね」

笑いを納め、翡翠は優しい目を花梨に向けた。
 「月はまた満ちる・・・か」
彼女はいつも、自分とはまったく異なる視線で世界を見ている。
その傍らにありたいと・・・彼女の見ている世界を見たいという望みを抱いたのはいつ
だったか。
月などあてにならぬもの。
常に一定に留まらず、手が届かぬもの。
そう思っていたのに。

 「欠けてもまた満ちる月の毅さ・・・と君は言うのだね。」
それならば。
その優しい光をこの手に抱いてもいいだろうか?
翡翠は手を伸ばして、花梨の細い身体を腕の中に包み込んだ。

 「ひ、翡翠さんっ」
 「白露も夢もこの世もまぼろしも たとえて言えば久しかりけり・・・かな」
 「え・・・と、どういう意味ですか?」
 「いかにもはかないものとされている露も、夢やこの世や幻も、私の恋のように本当
は永遠のものの例えだったのですね・・・今の私の素直な心境だよ。
君は変わってもよい、という。
何度も何度も積み重ねればよいから、と。
欠けても満ちる月のように。
私は繰り返し、何度でも君を恋するだろう。
それを、今は信じてみたいのだよ。」

腕の中に今は確かにあるぬくもりが、明日も確かにあるという保証は誰にも出来ない
けれど。
 「信じたいんだよ・・・」
花梨の白い腕がそっと翡翠の背にまわされ、柔らかく彼を包んだ。

 「私も、信じます・・・。
たとえ、月が欠けたとしても、月そのものが消えてなくなるわけじゃないから・・・」

寄り添う影が、ひとつに重なるのを、天空高く、月だけが見ていた・・・。






前から暖めていた翡翠さんネタ。せっかくなので、お誕生日祝いに(^^)
完全に翡翠さんの気持ちを理解できたとは思わないのだけど、私自身が今日の誓いの有効性を信じられない人だったから、その切り口で考えてみました。
が、よく分からない話になってしまったかな・・・。
失うこと、変わることへの恐れを癒す話を書きたかったはずなんですけど・・・。
それについては、ゲーム中でも克服されていますね。
「ずっと一緒にいるわけではない。
だが、気持ちは残る。この胸にいつまでも残る・・・。
いつか消えるのだとしても、それが風であることだけは変わらないのか・・・」

欠けても満ちる、っていうフレーズは実は友雅さんソングからです。
友雅さんの空虚さは貴族であることにも一因があると思うのだけど、では翡翠さんは
・・・?
まだまだ、地の白虎を把握するには修行が必要ですね・・・(^^;) 難しいです。


2003.5.15



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