「翌日、起き出して支度をしようとしていた花梨は、飛んできた紫姫に 「泰継殿より、今日は神子様を『褥に縛り付けておけ』と言われました」 と詰め寄られ、また褥に逆戻りすることになった。 「別になんともないよ」 「いいえ、なんであっても、今日は寝ていていただきます!」 力説する小さな姫には逆らえず、大人しく袿を被る。 「では、神子様ゆっくりお休みくださいね。 何かありましたらお呼びください」 一礼して退がる紫姫の声を聞きながら、花梨はだるさを覚えて目を閉じた。 (あれ・・・?) 先程まではなんともないと思っていたのに、引き込まれるように眠りに沈む自分を頭の片隅で意識しながら、すぐに花梨は考えることが出来なくなってしまった。 どこかで、「逢いたい」と泣いている声が聞こえる・・・と感じたのを最後に、花梨は意識を手放した。 泰継は、昨日花梨たちが行ったという社に向かった。 弱い日差しの中で、池はただ静かに煌いていて、何の変わりもないように見える。 (抜け殻・・・) そんな言葉が脳裏を掠める。 社も改めたが、元々社自体は単なる付随物のようで、手掛かりになるようなものはなかった。 (記録にあるだろうか・・・) 泰継はその足で、安倍家へ赴いた。 勝手知ったる屋敷のこと、様々に噂される”北山の隠者”を前にして怯える安倍家の弟子を退け、書庫を漁る。 次々と古い記録を改めていた泰継の手がふと止まった。 京の祭祀場、社などをまとめた書の中に、例の池があった。 (祭祀・・・渡御?) そこに記録されていた社は、二つで一つになっている。 京を挟んで、ほとんど真逆に位置する池の辺に、もうひとつ神が渡る社がある。 泰継は、書物を元に戻すと、足早に安倍邸を出た。 町中を外れ、山ふところに分け入った池のほとりに、その社はあった。 右京の社と同じような型だが、こちらも既に祀る者もいないらしく荒廃している。 かろうじてまだ外れていない、という程度の扉を開け、中を改めると納められていたのは白い勾玉だった。 (花梨の持っていた勾玉の対・・・) ふたつでひとつである、耳飾。 形に意味を見出すとき、相似形の物は「引き合う」呪いとなる。 (これは・・・) 考え込んだ泰継の思考を遮ったのは、よく響く声だった。 「そこの陰陽師」 その声は、自分に向かって話し掛けているように、はっきりと聞こえた。 泰継の視線は、その声の元、池の際のほうへ向けられる。 つと近寄ると、波のない静かな水面に半身を浸して、白い蛇がとぐろを巻いていた。 「私になにか用か」 「そうだ」 蛇は紅い瞳で、泰継を映した。 掌に乗るような小さな蛇だが、泰継にはそれが「大蛇」と呼ばれるたぐいの蛇神であることが感じられた。 じっと泰継を見ていた蛇は、唐突に問い掛けた。 「お前は我が妻を知っているのか」 「妻?」 「お前から、微かに懐かしい気配がするのだが」 「・・・なるほど」 花梨に依ったのは、この蛇神の妻か。 蛇神は、光る目で泰継を見上げたまま言を継いだ。 「連れて行って欲しいところがある、我の声を聞く者よ」 「どこへ」 「我が妻と再会する場所に」 視線で先を促すと、神は語り始めた。 「我らは、川を住処とする一対の蛇神であった。 だが、ある日やってきた一団が、我らを水害を起こす神として調伏しようとしおった。 争いのすえ、我らは引き離され、それぞれに社に祀られた。 ありていに言えば、封じられたのよ。 だが、我らの恨みを恐れた者たちは、百年に一度、祭りのときのみ逢えるようにと定めた。」 「我を連れて行ってくれぬか」 泰継は無言で神を見詰める。 重々しく、直接頭に響くような神の声は、何故か胸を締め付ける切なさを含んでいる。 「今年こそ定められた約束の年。 封ぜられた我らは自力では約束の地へ移動することが叶わぬ。 なれど社は忘れ去られ、我らが依った神体をかの地へ還御させる祭りは、もはや行われぬのだ」 眉を顰めたまま、微かにため息をついて、泰継は手を差し出した。 「仕方あるまい」 蛇神が、するりと腕を伝って泰継の肩へと登り、胸の辺りへ溶けるように消えた。 これでやっと、逢いにゆける。 満足げに神が呟いたのが胸のうちに伝わった。 「100年、か」 唇から零れ落ちた言葉はどちらのものか。 待ち続けた神の気持ちは、泰継にも分かるような気がした。 神子がもたらされた今だからこそ、分かるのだと強く思った。 祭祀の次第はともかく、女神を宿している花梨を連れてこなければならないと、泰継は四条へ向かった。 だが、屋敷に上がると、取り乱した紫姫が飛び出してきた。 「神子様が・・・! 申し訳ありません、私が気をつけていなかったばかりに・・・」 紫姫が気付いたとき、花梨の姿は部屋になかったのだという。 いつも身につけている水干や異世界の靴が見当たらないので、花梨は屋敷の人々の目をすり抜けて外に出たのではないか、と思われた。 「大人しくしてはいられないのか、神子は」 腹立たしい気分で呟いた泰継は、それが「心配」から派生する苛立ちなのだとは、まだ分かっていない。 己のうちに宿る神に、問いかけた。 「女神の気配、辿れるか?」 (ごく微か、それに我らは未だ封じられておる。 だが、近づけば・・・) 「仕方ない、私も神子の気配を探す」 涙をためた紫姫に心配するなと言い置いて、泰継は再び外へ向かった。 昨晩、花梨は夢遊状態で庭に現れた。 もし、そのときのように花梨に依った女神が表に表れているなら・・・ 「例の社・・・いや、定めの地」 (うむ。京の南を下った、大池) 「わかった」 泰継は駆け出した。 道行く人々に驚かれるが、構わずにひた走る。 走っているうちにどんどん無心になっていくのは、一体なんの作用か。 ただ、ひたすら花梨の面影だけが脳裏に浮かぶ。 その笑顔を焦がれるように求めて、どんどんと足を速める− 視界に、きらりと光を弾く湖面が入ってくる。 冬の日の中で、冷たいはずの水が、暖かな光を放つように感じるのは、感傷のせいか。 そして、湖のほとりには小柄な少女の影。 彼女は、走ってくる足音に気付くと、弾かれるようにまっすぐに駆けてくる。 泰継は自分の中に宿っていた神が、するりと抜け出てていくのを感じた。 そして、花梨が依らせていた女神が同じように、解き放たれて、夫のもとへ馳せてゆくのも。 神々の歓喜の想いが共鳴して、それを感じているのは神なのか、自分なのか、分からなくなる。 もう何も考えず、泰継は自分に飛びついてきた花梨を抱き締めた。 (逢いたかった) (嬉しい) (愛しい) 言葉が、気持ちが溢れるようなのに、それをまるごと伝える術がないように思えて、もどかしさすら感じる。 お互いの瞳を見詰めて、そこに映る想いを見つけて。 ひかれるように、唇が重ねられた。 長くも短くも感じられる時間の後、やっと状況を認識する余裕が出来た花梨は、ふと湖を振り返ってすっとんきょうな声をあげた。 大きな四つの赤い瞳が、こちらを見下ろしている。 「礼を言う、陰陽師、そして龍神の神子」 「まことに・・・ありがとうございます、神子。おかげさまで愛しき背の君に逢うこと叶いました」 大蛇に礼を言われ、花梨はぶんぶんと手を振った。 「そんな、たいしたことしてませんし・・・。 なんだか、気持ちがシンクロしちゃったみたいで・・・。 ・・・よかったですね、大事な人に逢えて」 そうはにかむように笑顔を作った花梨を見遣って、赤い瞳が微笑したように見えた。 「そなたたちにも、よき未来があらんことを」 響く声を残して、二体の神は湖の深くへ消えていった。 水の波紋が収まるまで見送った静かな空気を泰継が唐突に破った。 「シンクロとはなんだ?」 「あ、え、えっと・・・」 不意を突かれ、花梨は慌てた。 「共鳴・・・?というか、同調・・・というか」 「蛇神に?」 問い詰められ、花梨は観念してぽつりと呟いた。 「あの人の気持ちが分かっちゃったから・・・。 ただ、好きな人に逢いたいって気持ち・・・」 泰継はそっと腕を伸ばして、花梨を胸の中に引き寄せた。 蛇神の気持ちに同調したのは、泰継も同じだ。 待ち続け、焦がれる相手の元へ走ったあのとき、自分と神は同一だった。 「分かったのだ・・・」 頭の上で呟いた声に、花梨は顔を上げた。 「え?」 「お前がいなくては、私は寂しい」 双色の宝石のような眼差しが、まっすぐに花梨を見る。 「お前と一緒にいたい。ずっと、一緒にいたい」 「泰継さん・・・」 「全てが終ったら、お前の世界に一緒に行ってもよいか?」 「え!?」 「方法は分からぬが・・・お前と離れたくはない」 大きな瞳を瞠ったまま、泰継を見上げていた花梨は、それを聞いてもう一度泰継にぎゅっと抱きついた。 「私も、離れたくない・・・!」 重なった影は、ほの柔らかな冬の日が移ろうまで離れることはなかった。 そして、二人は願いを叶える。 それは、あと数日の大晦日の後、京が無事に迎えられた新たな年に清められたときのお話。
長らく煮詰まっていた、泰継さんと花梨ちゃんのお話。
急に「あ、書こう」という気になって、書き上げました。 もろもろ、設定や文章で「勉強不足で苦しい・・・!」というところはあるのですが、今書き上げないとまた寝かせてしまいそうだから^^;(寝かせて上手く醸造されるんならいいんですけどねえ・・・) でも、やっぱり泰継さんと花梨ちゃんが大好きです。 2005.12.25
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