狐の嫁入り |
「あれ、天気雨ですね」 晴れているはずの空から、ぽつりぽつりと水滴が降って来る。 花梨は天に向かって、雨粒を受け止める形に手を伸べた。 「花梨、濡れる」 共に散策をしていた泰継が、自身の上着をかざして花梨を庇ってくれる。 「そんなに濡れるほどの雨じゃありませんよ」 過保護なほどに優しい仕草が、嬉しくも照れくさくて、花梨は頬を染めて俯いた。 日の光とともに、さらさらと雨が降る光景を眺めながら、 「こういう雨のときって狐の嫁入りって言いますよね。 狐のお嫁さんが通ってるのかな」 冗談めかして言った言葉には、大真面目に肯定が返ってきた。 「そうだ。 今、行列が通るところだ」 泰継は、視線を赤い鳥居の立つ社のほうに向けている。 「そこの稲荷の社に仕える命婦の娘が輿入れするそうだ」 花梨は目を丸くして泰継を見上げた。 「泰継さん、こっちの世界でも狐にお知り合いがいるんですか」 その呆然と憧憬が混じった視線をくすぐったそうに受けながらも、真面目な顔のまま泰継は頷いた。 「そこの社の神使とは以前、仕事で面識が出来た。 少し前から、娘御が嫁ぐに際して、相談を受けていた」 もっとも、夜な夜な部屋で書を紐解く傍ら、命婦が話し込むのに相槌を打っていたというのが正しいのかもしれないが・・・。 狐の世界であっても、嫁入りする娘を持つ親の心配ごとや準備の慌しさは変わらぬものらしく、泰継はときどき「そうか」「そうだな」と相槌を挟みながら、黙って命婦の気の済むまでつきあった。 そのかいあってか、本日晴れて命婦の娘は嫁ぐらしい。 本来はその行列を人の目から隠すための雨だが、泰継の目には一行が自分たちの前に向かってくるのが見えていた。 ふっと雨が弱まり、目を瞠る花梨の視界で、ゆらりと景色が揺れて、煌びやかな花嫁行列が現れる。 通常の人の世からは隠された、異界の者たちの行列は、夢現の美しさで花梨の目を惹きつけた。 白無垢の花嫁に差しかけられる鮮やかな赤い傘。 金細工の施された嫁入り道具の数々。 付き従う人々の華やかな衣装。 ぽうっと眺める花梨の前で行列が止まり、付き添う紋付の女が進み出て頭を下げた。 「泰継様、おかげさまで、本日のよき日を迎えられました。 神子様、厚かましきお願いを許されますならば、めでたき事ゆえ、どうぞ一緒に祝っていただけますか」 「え、えっと・・・どうすれば?」 戸惑う花梨を支えるように、泰継が傍に寄り添う。 「お前の言葉には未だ神気が宿る。 素直に言葉を口にすればよい」 「じゃあ・・・、おめでとうございます。 末永くお幸せに」 切れ長の目をした美しい花嫁が、幸福そうに微笑んで頷いた。 「ありがとうございます、神子様」 その眩しい笑顔に、花梨もつられて微笑む。 「では、道中急ぎますので、失礼致します」 二人に礼をとると、一行はまた粛々と進みだし、ふわりと大気に溶けるように消えていった。 再び、行列を隠すように雨がさらさらと降り、そして行列の気配が遠ざかると次第に止み始めた。 「ふわあ〜、綺麗なお嫁さんでしたね。 お道具とかもすごく素敵でしたし」 頬を上気させ、目をきらきらと輝かせている花梨を、泰継はじっと見つめた。 「花梨は白無垢が着たいのか?」 「は・・・!?」 「あの花嫁御寮が着ていた・・・」 「あ、はい、ウェディングドレスも憧れますけど、白無垢も素敵ですね」 唐突な発言の意図も分からないまま、花梨は素直に答えた。 泰継の発言が唐突にみえるのは、相変わらずだし、慣れている。 「花梨が着たいのなら、両方着ればいい」 「・・・着たいならって、あの・・・」 「式場とやらで、両方着ている者もあるそうだ」 慣れているが・・・なにやら分からぬままに勝手に進む話に、さすがに困惑した。 「泰継さん?」 「大々的な行列を行うところはあまりないようだが・・・やりたいか?」 「泰継さんてば!」 語調を強めて名を呼ぶと、泰継は首を傾げた。 首を傾げたいのは自分のほうなのだが、と花梨は思う。 「花梨?」 「・・・なんの話ですか?」 「もちろん花梨が学校を卒業するまで待つが」 「えっと・・・私と泰継さんの・・・話ですか?」 「・・・? それ以外の何の話をするというのだ」 「話が飛びすぎです!」 真っ赤になって、花梨は抗議した。 それ自体は花梨もいつかは・・・とぼんやりと思わないでもなかったが、具体的に思い描けてはいなかったのだ。 「ちゃんと手順を踏んでくれなきゃ」 「手順?」 「だって、プロポーズもなしで・・・」 「結婚してくれ」 シンプルかつストレートな物言いに、固まったあと、花梨は思わず笑ってしまった。 泰継らしいといえば、泰継らしい。 「これでは駄目だったか?」 しゅんとした泰継が「この世界での求婚の手順を徹底的に勉強してくる」などと言い出したので、慌てて花梨は表情を改めた。 「ずっと一緒にいたいのは、私も同じです。 えーと・・・『ふつつかものですがよろしくお願いします』?」 どう言ったらいいのかわからず、語尾が疑問系になってしまったが、泰継は嬉しそうに笑ってくれた。 まだ自分はお子様で、結婚という現実が余り実感できないのだけど。 泰継の隣にずっと居たいというのだけは、世界を超えさせるほどに確かな願いだったから。 いつか、そんなには遠くない未来に、それは現実になるだろう。 花梨は自然に泰継に手を預ける。 泰継は花梨の歩調に合わせて、ゆっくりと歩いて行く。 ずっとこうして、二人で並んで歩いていけたらいい。 雨が過ぎた空からは、祝福のように光が降り注いでいた。 狐の嫁入り。
遭遇するなら京のほうがいいかと思いましたが、婚姻形態が「嫁入り」じゃないかなあと迷い、現代設定にしました。 CDで「北山のある一日」を聞いて以来、泰継さんはよなよな狐の愚痴の相手になってあげていたんだと思うと、なんだか可笑しいやら、羨ましいやら。 2010.10.20
|