花酔い


「初めて先生に会ったのもこんな桜の下でしたね」


弾む足取りで傍らを歩いていた望美が、長身のリズヴァーンを見上げるようにして不意に言った。
道の彼方まで続く桜の並木は、淡い紅の雲のような花の盛り。
穏やかな光の中に舞う花弁が、はらはらと降り注ぐ。
午睡の夢のような光景の中に、輝くような笑顔で立っている、愛しい存在。

「・・・」
リズヴァーンが一瞬返事に戸惑ったのは、だが、彼女に見惚れていたせいだけではない。
彼女の言う「初めて」は自分にとっての何度目の「初めて」だろうか?
自分の知る彼女と、彼女の知る自分とは、必ずしもぴったり一致するものではないのだ、と思うとそら恐ろしいような気がする。

「あのあと、弁慶さんに言われたんですよ。
『花に酔わされたような顔をしてますね』って。
でも、本当にふわふわした夢みたいな気持ちでした。
だって、花びらと風を従えたみたいな先生の剣、とっても綺麗で、目が離せなくなって・・・」

リズヴァーンは、懐かしげに語る望美の声を聞きながら、眩暈のするような、果てない螺旋に落ちていくような感覚に捕らわれていた。
ざあっと一陣の風に、渦巻くように花びらが舞い上がる。
まるで、ここが非現実の世界だと錯覚しそうになる。


ここに居る自分は、一体どの自分なのか。
ここに居る彼女は、どの自分の知る彼女なのか。
穏やかなこの世界は、胡蝶の夢なのではないのか。


「それこそ、酔わされているのか・・・」
「先生?」
ぽつりと呟かれた言葉に暗い響きを聞き取って、望美が彼の顔を下から覗き込む。

「先生、今、あの世界のこと考えてました?」
望美は背伸びをして、リズヴァーンの頬に手を伸ばした。
包み込む細い手の、それでも確かなぬくもり。
リズヴァーンはそっと、その手の上に自らの手を重ねる。
緩やかに伝わる、暖かい血の巡る音。
じっと見上げてくる、青葉の生気に満ちた瞳。
ここに居る、と彼女の全身が伝えてくる。


今、ここに彼女と自分が居るのは、確かな現実。
彼女の体温が伝わってくるのと同時に、揺らいだ自分の意識の軸もパズルのピースが嵌まるように正されていく。
そっと息を吐く。

「いや、大丈夫だ。
花をゆっくり眺めるなど久しぶりで、酔わされてしまったようだ」
微笑んでそう言うと、目を細めて望美が微笑みを返す。
「存分に酔ってもいいです。
私が介抱してあげますから」

ひとつ瞬いたリズヴァーンは、もう一度彼女の手を捉えなおすと、目を閉じた。
「ああ、そうだな・・・」


まなうらに焼きつく、光と花と彼女の笑顔。
暖かく、眩暈がするほど幸せな気持ち。
この幸福にこそ、心地よく酔わされる。







毎年、桜の時期になると桜の話が書きたくなるんですが、今年はリズ×神子で。
桜といえば1って気もするんですが、3も神泉苑とか長岡天満宮とか、桜が印象的です。

それにしても、桜ってどうしてこれほど、感慨や想像や晴れやかな気持ちや切ない気持ちを呼び起こすのでしょう。
昼間は、何の悩みもないようなのびやかな顔、夜は誘い込まれそうな幽玄な顔。
不思議な存在だなあと思います。

2005.4.7



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