「花梨っ!!」
花梨のあとを追って、変質する空間に入り込んだ泰継は、佇む白い人影を発見した。
ゆるりと無表情のまま、少女が振り返る。
その足元に崩折れている花梨の姿。

泰継が駆け寄って抱き起こすと、どきりとする程冷え切っていた。
陽に透ける若葉にも似た瞳は閉ざされ、身じろぎもしない。
気をさぐっても、凍りついたように何も感じられない。
「・・・花梨を元に戻せ」
低く泰継が言う。
瞳には激しい光が宿り、指は即座に印が結べる態勢にある。
相手の出方しだいでは、有無を言わさず調伏するつもりだった。

「私にはどうしようもない・・・。
そうしたくてやったわけではないのだもの。
私が触れるものはみんな凍ってしまう」
ぼんやりとした口調で、白い少女は告げた。

「お前は・・・『雪女』か」
「・・・よくわからない。
でも、ずっと私が触れるものは凍るのだと言い聞かせられていた。
お前は神のモノだから、人には触れられないと」
なんの波も立たない瞳が、花梨を抱いた泰継を見下ろす。
その白い髪と、紅い瞳、それは・・・

「白子・・・アルビノか。
それで神の愛児(まなご)とされたか」
初めて、白い少女の面に微かな動きが浮かんだ。
「神との交信者、そして神への捧げ物・・・か」
その言葉に同調するように、霧が幻を映し出した。


   神の愛児として隔離され、独り長い闇の中に座っていた少女。
   誰とも触れることなく、誰とも話すことなく。
   風も動かない、花の香も届かない。
   そして、そこから出るその日は、神へと捧げられるその時・・・


「いや・・・」
少女が弱々しく首を振る。
「私は何も感じない・・・何も・・・」
そうして、口の中で、呪文のように呟いている。
だが、幻は白い時の澱の中に、かつての少女の姿を映し出していく。


   何も感じぬように。
   心はゆっくりと麻痺していく。
   独り座り込んだ闇の中で、朝はいつまで待ってもやってこない。
   私は、何も感じない。
   私の心に波紋は起きない。
   そうだ、私は何も感じない。
   痛みなど、自覚しなければいい。
   心など無くてもいい。
   「・・・すべて凍らせましょう・・・」


「そうして、他の者も凍らせているのか」
厳しい声音だったが、その口調はどこか憐れみを含んでいた。
アルビノの娘は、真紅の瞳を花梨に向けた。
「その子も・・・やっぱり凍ってしまった・・・」
「花梨の心は凍りはしない・・・。
花梨はどんなときでも決して絶望はしなかった。
たとえ泣いても、あきらめはしなかった。
花梨の心を凍らせることなど、出来はしない」

呟いた泰継は、射抜くような眼差しを少女に向ける。
「自分で・・・認めていなくとも、お前は心を未だ持っている。
そうでなくば、何故苦しむ?
・・・これも、花梨が私に教えてくれたことだが・・・」
言葉の後半は、懐かしむような優しげな呟き。

泰継は花梨を包むように抱きしめ直し、口付けた。
自分の体温を移すように。
ありったけの気を流し込み、彼女の気を支え、補うために。
「花梨・・・」

アルビノの少女は黙って、じっと立ち尽くしている。
花梨のまぶたが、ぴくりと震え、若葉色の瞳が現れた。
「や・・・すつぐ・・・さ・・・」
「大丈夫か?」
「う・・・ん、もう・・・平気。
ありがとう、泰継さん」
言いながら身を起こす花梨の背を支えてやる。

「さあ、お前はどうする?」
泰継の厳しい視線が少女をまっすぐに貫く。
花梨も、正面から彼女の顔を見つめた。
「あなたは、『助けて』って言ったよね?すごく、激しい想いだった・・・。
だから、私はここに来たんだと思う」

先ほどまで、なんの表情も浮かんでいなかった紅い瞳に、今は揺らめく光がある。
本当は分かっている、全てを拒んで闇の中に蹲っているから寒いのだ。
このままでは、ずっと寒いままだ。
自らの心を凍らせて、それでもぬくもりを求めることはやめられなくて・・・
人を引き込んでは、自分と同じように凍らせてしまっていた・・・

「・・・私を消してください」
目を閉じて、少女は呟いた。

花梨は、すっと立ち上がった。
「花梨」
「あの子の目、似てる・・・。
千歳や、アクラムや、それに皆が・・・傷ついてたときにしていた目。
自分で自分の心を凍らせて、やっと守ってるの」
「・・・」
静かだが、決して退く気のないことを思わせる花梨の言葉に、泰継は気遣わしげではあるが、黙って彼女の背を見守った。
少女は覚悟の表情を浮かべ、目を瞑って立っている。

迷いなく少女に近寄った花梨は、彼女に腕を伸ばし、抱きしめた。
「え?」
「ほら、大丈夫でしょ?
もう・・・寒くないよ」
少女の驚いた表情が、泣き笑いのそれに変わっていく。


―まわされた腕からぬくもりが伝わってくる。
今までこうして私に触れるものはいなかった。
人の体温がこんなに心を温めてくれることを知らなかった・・・。


「ごめんなさい・・・」
少女の閉じられた瞳から一筋、きらめく滴が零れ落ちた。
ゆっくりと手を離し、少し後ろに下がると、花梨は少女に告げた。
「多分、私も一人だったら凍えてしまっていたよ。
でも、一人じゃないから・・・心に波が立つの。嬉しいのも楽しいのも・・・。
皆が――貴方がいるから」

花梨の言葉の後半は、泰継に向けられたものだ。
唇にわずかに笑みを乗せると、泰継は後ろから花梨を抱きしめた。
そして、白い少女に告げた。
「お前も、いつかきっと巡り合える。心を温めてくれる人々、温めてやりたい相手に」
「あなたも今度は探せるよ・・・」
「ありがとう・・・」
少女は、透明な笑みを見せると、融けるように消えていった。

ひとつ息を吐いて。
「相変わらずお前は無茶だ」
腕に力を込めて、花梨の髪に唇を寄せて、泰継は文句を言った。
「だって・・・」
「・・・それがお前なのだな・・・」
「そ、そういう泰継さんは平気なの?
あんなに私に気を・・・」
言いながら、花梨は赤くなる。
「問題ない」
しれっとして、泰継は断言した。



ふうっと時間がほどけて、元の境内に二人は立っていた。
今はもう晴れた痛いほど青い空から、細かな氷の粒がきらきらと光を弾いて落ちてくる。
受け止めた花梨の手のうえで、それはすぐに溶けて消える。
「これは、涙・・・?」
「だが、先ほどの溶けない氷ではない・・・これは、温かい」
指先に、滴がほんのりと温かさを――人の体温のようなぬくもりを残していった。
二人は顔を見合わせて微笑んだ。

・・・あなたがいるから、心が温かい。

暑い陽射しが戻ってきている。
―真夏の気配はもう、すぐそこに来ている。








・・・夏本番前にアップしようと思ったのに、なかなか詰められなくて、間に合いませんでした・・・。
タイトルは造語です〜。なんとなくイメージで。
お話自体も、夏に氷・・・というイメージからぼんやりと出来上がりました。
また今回も、花梨ちゃんに敬語を使わせるかどうか、ちょっと悩み。
全部敬語なのも、恋人としてどうかと思うし、でも敬語じゃないのもなんだか落ち着かない・・・。
創作は書いているうち、どんどん辻褄があわなくなってきて、アップできるまでに時間がかかります;;;
今回も、いろいろ迷っているうちに自分でもわけがわからなくなり;;;
ん〜、でも今回はハグばっかりしてるような^^;
・・・お目汚しでございました〜。

2003・8・19



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