「ここはずっと日も翳らないんですか」
しばらく、丘の頂に座り込んで、ぽつぽつと青年と話をしていた花梨は、ふと太陽の位置が動いていないことに気付いた。
 「ああ、いつも春の午後のままだ」
 「とっても綺麗だけど・・・」
ずっとこのままだというのは、なんだか寂しいような気がする。
暖かで、綺麗で、うららかな日差しが絵に描いたように幸福で・・・それなのに、とても寂しい。
動かない世界で、たった一人で。

 「そうだな、ここは美しいが・・・檻でもある」
 「檻?」
 「ずっと、何も変わらない・・・景色も、私自身も」
明るい日差しを浴びているのに、彼の顔には似つかわしくない翳が宿る。
心配げに見上げる花梨の視線に気づいて、彼は少し困ったふうに目じりを和ませた。
 「だが、あなたが来た」
晴れやかな口調になって、青年は花梨を見遣った。
 「あなたは、この閉じられた世界にもたらされた、変化だ」





陰陽師たる泰継の自室は、ある意味そのまま結界のようなものでもある。
清浄に整えられた一室に、泰継は呼吸を整えて座った。
傍らには、子犬がさも神妙そうに寄り添う。
泰継の膝元には、持ち出してきた包みの中身がある。
両手の中に納まるほどの、文箱を見つめ、泰継は心の中で強く花梨に呼びかけた。
 
 (花梨・・・どこだ・・・)

 (花梨!)
心の中で叫んだとき、答えるように、りいんと涼やかな音が響いた。
 「?」
泰継は首にさげた鎖をシャツの下から引き出し、鎖に通された指輪を掲げた。
以前自分が贈った指輪と、揃えて誂えたかのような、銀のリング。
花梨からの贈り物であるそれを、目につくところにはしない代わりに、泰継は肌身離さず身につけていた。
 
 「多少不完全ではあるが・・・花梨の持つものと対になる作用がある・・・ということか」
相似形のふたつは引き合う、という性質を期待して、それが媒介になることに泰継は賭けた。

 (花梨・・・)
銀の輪を握り締め、泰継は祈るように花梨の名を呼ぶ。

ちり、停止したように静かな空気がかき乱された、と感じた瞬間、花の咲き乱れた野原が映し出された。
それはすぐに空気に溶け、目の錯覚かとも思えたが、傍らの子犬も物言いたげに泰継を見上げている。
 「お前にも見えたか」
くうん、と子犬は返事をする。
花野のようなところに座り込んでいた人影は、一瞬だったが、確かに花梨だった。

 「だが・・・」
どうやったら、花梨のもとへ行けるのか。
場所が特定できるのなら、多少強引にでも、道を開く術がないわけではない。


 「わん」
考え込む泰継の袖を、子犬が訴えるように引っ張った。
 「・・・花梨の気配を辿れるのか・・・?」
まかせろ、とでも言いたげに、子犬は無邪気な目で泰継を見上げる。

 「私を花梨のところへ連れていってくれ」
泰継は掌の中に指輪を握り締め、自身の身体から意識を切り離す呪言を唱えた。





 「あなたが来てくれて、嬉しい。 ・・・もう、一人ではない」
静かに、だが心底から嬉しそうに、青年が呟いた。
花梨は、困惑して青年を見上げた。
美しい静寂の檻の中に、たった一人だった彼の気持ちを思えば、花梨も深く共感するし、助けてあげたいとも思う。
幸運にも、自分には助けてくれる人がたくさん居たが、たった一人だという孤独は分かる。
何より、そのために苦しんできた人たちが身近に居た。
自分の対である黒龍の神子や、敵であった金の髪の鬼や・・・それから、百年もの間孤独だった、翠の髪の陰陽師。
そのときの彼らの瞳を思い出すとき、今でも花梨の胸は痛む。

 「でも、戻らなきゃ。 ここから出ることは出来ないんですか」
現世には、いろいろなことが−両親や、友達や、それから絶対に傍を離れたくない人が待っている。
本来ならば、違う世界に生きて、会うはずもなかった。
京が救われたからには、別れるはずだった人。
時空の違うこの世界にまで、一緒に来てくれた泰継と、何があっても離れたくはない。

 「もう数えることも出来ないほど、私はここにいる。
出る方法など・・・」
 「私がここに来られたなら、出ることだって出来るはず。
方法を考えましょう」
きっぱりと言い切った花梨に、青年は驚いたような瞳を向けた。





とん、と足が地に付いた感触が伝わってくる。
ここは現実世界ではないし、泰継も物理的な身体があるわけではないが、感覚は普段と同じように働くようだった。
辺り一面を埋め尽くす、淡い色彩の中を泰継は見渡した。
子犬は揺れる花びらにじゃれかかって、くるくると走りまわっている。
 「行くぞ。花梨を探す」
 「わん!」

この世界に入ってから、花梨の気配が強く感じられる。
その気配を辿って、泰継は花野を進んでいった。



 「花梨!」
丘の頂に目指す姿を見つけて、泰継は叫んだ。
振り向いた碧の瞳がぱあっと輝く。
 「泰継さん!」
飛びついてきた花梨を深く抱き締め、泰継は目を閉じた。
腕の中に確かに感じる感触に、安堵する。

 「これはなんとしたこと。
何ひとつ動くことのなかったこの地に、一人のみならず、二人も客人が現れようとは」

しばらく花梨の存在を確かめるように、抱き締めていた泰継は、やっと呆然と立つ青年に目をやった。
銀の髪に透ける新緑のような色の瞳の、人離れした雰囲気の青年を、じっと見つめていた泰継は、首を傾げた。

 「・・・おまえは精霊か?」
 「さて、何だろうな。 私自身も、もう私のことなど忘れてしまった」
 「この木と同じ気配がする」
泰継の手には、不思議なことに例の文箱があった。
 「・・・!」
その手の上の箱を見た青年の瞳が見開かれた。
力が抜けたように、蹲って頭を抱える。

 「宿っていた木が切られて、この文箱になったときから、ずっとおまえも一緒にここに居たのだな」
ずっと変わらず日の光に輝く花野は、施された装飾。
褪せない花の色は、螺鈿の揺らめく微細な色。
見事な花は永久に咲き続ける。



しばらく蹲っていた青年は、ゆらりと顔を上げた。
 「・・・では、それを壊して、私を解放してくれるか」
 「壊せば、おまえは消えることになる」
 「もういいのだ。 私は在ることに疲れた」
倦んだ視線を投げて、青年は呟いた。
その言葉に、泰継は複雑な表情をした。
 「木としての寿命はまだ尽きてはいまい。
本来、木とは長命なもの」
 「今の私は『木』と呼べるものではあるまい。
移ろう季節を寿ぐことも、私を潤してくれる雨も、私のもとを訪れる生命たちを護る腕もない」
自嘲するように、自らの腕を掲げた青年の背中を、そっと花梨がさすった。
 「それでも、消えるなんて哀しいです」
 「しかし・・・私はいつまで何も変わらぬまま、ここに在ればよいのか」

暫く黙って考え込んでいた泰継は、青年の前に膝をつくと、切り出した。
 「式神にならぬか」
 「式神・・・」
 「おまえを縛るつもりはない。
だが、そうすれば、おまえはこの箱から離れて動くことが出来る」

 「そうだな・・・。
あなたの式神ならば」
背後に振り向いた青年が、ひどく真面目にそう言うので、花梨は慌てて手をぶんぶんと振った。
 「へ? わ、私は陰陽師じゃないですよ!」

泰継は青年を睨んだが、動じる様子もない彼と、心配そうに見守る花梨の視線に負けて溜息をついた。
 「仕方ない。 おまえの護りになると思えば・・・。」

青年の頭上に手をかざし、泰継は真言を唱えて、名を呟いた。

 「白耀」

新たな名をつけることで、そのもの本質を把握し、式に下す。
青年は、微かに笑うと、泰継の前に膝をついて頭を下げた。


 「では、戻るぞ」
腕にしがみつく花梨の肩を抱いて、泰継は意識を現世の身体へと引き戻した。
子犬と白耀がふわりと舞うように、追ってくる。
花々の色が、白い光に溶けるのを感じながら、花梨はゆっくりと目を閉じた。





 「えーと、泰継さん・・・なんだかおかしなことになっちゃいましたけど、それ、貰ってください」
花梨は泰継の手にある文箱を指差した。

あのあと、身体に戻って目覚めた花梨は、ばたばたと着替えて飛び出したところを、抜かりなく迎えに来ていた泰継に逢った。
そして、泰継のマンションまでやってきたのだ。

泰継は手際よく花梨の好きな紅茶を出してくれ、落ち着いたところで花梨は、今日の本来の目的を切り出した。

 「それって、白耀さんの本体だし、プレゼントって感じじゃないけど・・・。
ごめんなさい」
 「何故謝る。 ここは私が礼を言う場面だと思うのだが」
 「折角だし・・・何か特別なものをプレゼントしたいって思ってたんですけど」
しゅんとして俯く花梨の髪を撫でて、泰継はその瞳を覗き込んだ。
 「私にとっては、花梨自体が特別なのだが・・・。
ならば、その手にあるものをくれないか?」

琥珀の瞳に間近で覗き込まれて、頬を染めた花梨は、慌てて手に持っていたチョコレートと、手紙を差し出した。
 「こんなものでよかったから・・・」
言いかけた言葉は、ぎゅっと抱き締められて途中で消えてしまった。
 「ありがとう、花梨・・・」
耳元で、大好きな声が本当に嬉しそうに呟く。
どくん、と心臓が跳ねるのを自覚して、花梨はますます赤面した。

 (大好き・・・)
幸せな気持ちで一杯になって、花梨はきゅ、と泰継に抱きつき返した。



 「あ、恥ずかしいから手紙は、私が帰ってから読んでくださいね」
 「私はすぐにでも読みたいが、おまえがそう言うなら・・・」
泰継は、少々もどかしげにそう答えたが、花梨が帰ったあと、幸せそうな顔をして手紙を読む姿を、子犬と精霊は離れて見守っていた。
 「離れていても、私をこんなに幸せにしてくれるとは、花梨はつくづく偉大だな・・・」









バレンタイン話のはずが遅くなりました〜;;;
いつも、私はワンシーンのイメージから話を作ることが多いですが、これも典型です。
花畑の中に立っている、閉じ込められた青年、というイメージだけが最初にあって、作りました。
しかし、どんどんオリジナル設定になっていくなあ・・・。いいのかなあ。

2007.3.9



書庫へ
メニューへ