完全に闇に沈んだ湿原を迂回する道を辿り、林の中へ入っていく分かれ道にきたところで、子犬がふと宙を見上げた。
ひくひくと、遠くの匂いを嗅ぐ仕草に、泰継もついと目を空へ向けた。
 「ああ、式か」
白い鳥が戻ってきて、泰継の手元に舞い降りた。
 「湿原内では見かけなかったようだな」
鳥を紙に戻し、分かれ道の向こう、林のほうへ目をやる。
 「ならば・・・」
子犬がまた地を探索しながら進み始めるのを、泰継と花梨もついていった。

だんだんと子犬が足を速める。
 「シバくん? 何か見つけたの!?」
小走りに追いながら、花梨は問いかけた。
 「花梨、足元に気をつけろ。
この先は道が荒れているようだ」
泰継は花梨の肩を抱くようにしながら、迷いなく足を進めている。
道は、私道のようなところに入っていった。
しかし、しばらく使われていないのか、草が茂り、石や土くれで、でこぼことした道は、灯りがないせいもあって、ひどく歩きにくい。

道にも枝を伸ばし放題伸ばした木々を抜けたとき、花梨の目の前に白い色が広がった。
闇の中にもぼうっと浮かび上がるように、白い花の群生が揺れている。
 「これは・・・」
奥には水草の茂った池と、既に人が離れてしばらく経ったような家屋が見てとれる。
 「鷺草の群生か」
泰継がぽつりと呟いた。
 「人の手によるものだな」
 「・・・この家に住んでた人が植えてたってことですか?」
更に問いかけようとした花梨は、泰継と子犬が奥に向かって歩を進めるのを見て、後に続いた。
そして、白い花に埋もれて倒れている少女を目にした。
 「ゆかりちゃん!?」
 
 「あなたたちは何者?」
答えた声は、ゆかりのものではなかったが、少女めいた響きだった。
ゆらりと、白い影が立ち上がる。
それは、白い着物の袖を鳥のように広げた少女の形をとった。
怯えたような顔で、花梨たちを見つめる顔も白く、清楚な印象を与えている。
 
「・・・鷺草の精か」
子犬は頓着した様子もなく、とことことゆかりに近づいていく。
 「花梨、ここにいろ」
泰継は落ち着いた歩調で、群生の中に分け入ると、ゆかりを抱き起した。
ゆかりは若干顔色を失っているが、呼吸は落ち着いている。
 「多少生気を吸われているが、問題はなかろう」
花梨のもとまで、ゆかりを抱いて戻ると、泰継は花梨にゆかりを委ねた。
そして、白い少女に向き直る。
 「このところ、人の生気を吸っているのは何故だ?
場合によっては、お前を祓わねばならない」

 「私たちの庭に勝手に入ってこないで!
あの人が戻ってくるまで、私は待つんだから!」
顔を強張らせ、少女は後ずさりつつも叫んだ。
 「待って、私たちは・・・」
言いかけて花梨が一歩踏み出そうとした。
途端、くらりと眩暈がして、膝の力が抜ける。
 「花梨!」
泰継が抱き留めたが、花梨は「大丈夫です」と自力で立ち直した。
 「一瞬、くらっとしただけですから」
 
 「なんにせよ、人の生気を吸って、倒れる者を出し、騒ぎを起こしている以上、放置はできない」
泰継がまなざしを鋭くして、身構えた。
 「待って、泰継さん、話を聞いてから―」

 「この家の主はもう亡くなっている」
割り込んだ声とともに、ひらりと狩衣姿の青年が現れた。
 「遅参しました。
この辺りの木々に話を聞くのに手間取り・・・」
白耀は泰継と花梨に一礼する。

 「かつてこの家に住んでいた青年が、庭で大掛かりに鷺草の栽培を行っていた。
しかし、彼は持病があり、医院で療養の末、亡くなった」

 「嘘・・・。あの人は帰ってくると言った」
少女は白い顔を更に蒼白にしつつも、頑なに言い張った。
 「私は待っている。
あの人が帰ってくるまで、待っている」

 「だから、人の生気を吸い、命脈を保っているのか」
 「私はあの人を待っていたいだけ」

穏やかに、満足そうに見つめる眼差しと、
優しい手を、
『この庭にもう一度戻ってくるよ』という声を
 「今でも待っているの・・・!」
彼に見つめられ、手をかけられることで、精霊としての彼女が生まれた。
青年に精霊を見ることはできなかったけれど、彼は彼女の存在をわかっているかのように、語りかけ、愛情を注いだ。
毎年、彼女が白い花を咲かせると、青年は何時間でも飽きずに眺め続けていた。


顔を覆って震えている精霊の娘を見やり、花梨は泰継に訴える眼差しを向けた。
 「泰継さん・・・」
花梨が同情を向けるのは解りきっていたので、泰継は溜息をついた。
 「しかしこの者は、庭に入る人の生気を吸ってしまう。
悪意あってのことではないが、制御できないとあれば、余計に厄介だ。」
 「でも、なんとか・・・」

 「ならば私の箱庭の片隅に、場を貸そう」
白耀が、いつの間にか彼の本体である木箱を手にしていた。
 「時の止まった庭の花のひとつとして・・・」
 箱には美しい花々が彫りこまれている。
かつて、彼はその花庭に捉われ、続く永い時に倦んでいた。
彼の木としての寿命は尽きず、しかし美しいが変わることのない花庭から動くこともできずにいた。

 「泰継様」
白耀は箱を泰継に差し出した。
 「術で、鷺草の精霊を箱にこめる・・・か」
木箱を受け取り、精霊の娘を見やる。
 「お前はそれを望むか?
主が輪廻の輪から戻るときがいつになるか、それは解らないが・・・永劫に等しい時でも、待つ気があるか?」

それが救いとなるのか、失望となるのか、解らない、と泰継は呟いた。
彼自身が長い時を待った経験があるからこそ。
しかし、娘は迷わず答えた。
 「私は待ちたい」

鷺草の精の瞳を見つめ、揺るがない決意を知ると、泰継は一度目を閉じ、呼吸を整えた。
 「ならば、お前をこの箱庭の花のひとつとして、封じよう」
白耀を式に降したときと似た術で、鷺草の精霊を箱という型に式として封じ込める。

呪いを唱え、印を結ぶと、少女を封印の陣が包んだ。
花々がゆらゆらと揺れる中、少女の精霊の形が徐々に解け、光となっていく。
ふわりと名残を惜しむように庭を舞った光は、箱に宿った。
光がおさまったとき、木箱を彩る花々の中に、白い鷺草が増えていた。

泰継は瞳の奥に複雑な光を押し込めて、新しい花細工を手のひらで一撫でした。
 「眠れ、お前の主が再び輪廻の輪から還るまで・・・」
おずおずとした手が、腕を掴むのを感じて振り向くと、花梨が気遣いの混じった笑みを向けていた。
 「ありがとう、泰継さん」
 「お前が礼を言うことでもあるまい」
 「でも、お礼を言いたいから」
溜息とも、感嘆ともつかない吐息まじりに、泰継は花梨に木箱を渡した。
花梨も泰継がしたのと同じように、細工を撫でる。
 「早く会えるといいね・・・」



 「さ、早くゆかりちゃんを連れて帰らなきゃいけませんね」
少女を抱き上げた泰継、箱を持ち寄り添う花梨、足元に跳ねるように進む子犬、そして後ろから滑るように従う木の精霊。
奇妙とも言える一行は、すっかり暮れた林の中を、暖かい灯り目指して帰って行った。








文章が久しぶり過ぎて、筋肉落ちてるのにマラソンしたような気分・・・。
でも、どんどんオリキャラが増える泰継さん一家(笑)が、それでも好きだったりします。
2013.11.28



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