新選組にはまってから、会津に行ってみたいなあと思ってたのですが、突発的に行ってきました。 何時に起きて、何時の新幹線で・・・なんてざっと計画を立ててたのですが、いきなり寝坊しましてね・・・^^; まあ、ツアーじゃないし、ふらっと気侭一人旅なので、別に支障はないのですが。 もくろみよりも少し遅れて、東北新幹線で郡山へ。 そこからは、磐越西線で会津若松へ・・・なんですが、この列車、赤べこデザインなんですね〜。かわいい。 走る列車から見る風景も、山の中だったり、田圃だったり、ローカルな雰囲気。 一時間ほどで、お昼頃に会津若松着。 で、どういう予定にしようか迷ってたのですが、結局カートを引いたまま、市内とお城に行くことに。 まずは駅からてけてけ歩いていって、七日町方面へ。 この辺は、蔵とか、看板建築の古い建物が多くて、見て歩くのが面白いです。 ・・・しかし水曜だったので、お休みのお店も多かったです;;; とうふ茶屋清水庵というところで、お昼を食べました。 蔵座敷で、旧鶴ヶ城の廃材を利用してるそうです。 小さいお鍋で炊きたてのご飯が、つやつやして美味しかった。 あと、白和えが好みの味でした。 七日町の駅手前の小さなお寺、阿弥陀寺。 こちらは、斎藤さんのお墓(藤田家のお墓ですね)と、御三階があります。 御三階はお城にあったもので、重臣が密議をしたという建物。 ほんとに数人で膝割って話す感じですかね。 斎藤さんのお墓の前に立ったときは、なぜかとてつもなく感慨深かったです。 大きな木に抱かれるような穏やかな雰囲気で、天気もよくて光が差していたせいか、今は安らかに眠っておられるだろうなと思えるような場所でした。 亡くなったのが大正4年・・・うちの亡き祖父は大正5年生まれですよ。 幕末〜明治って、物語の中でしか認識していなかったけれど、確実に過去に起こったことで、今にちゃんと続いてるんだなあ・・・と思いました。 ガイドブックに載っていた蔵喫茶に行きたかったのですが、やはり水曜は休み・・・。 ですが、喫茶以外はやっていたので、見学させてもらいました。 末廣酒造嘉永蔵。 おじさんが、説明しながらお酒を造っている(今は小さいものだけここでやってるそうです)ところを案内してくれます。 足場を登って覗き込むと、小さいタンクの中(一升瓶800本ぶん)で、白い液体にときおりぽこぽこと泡がたってました。 2階に行くと、座敷に野口英世の書とか展示してありました。 野口英世を養子にした先生(えーと・・・お名前忘れてしまったわ・・・)の身内の方がこちらに嫁がれた縁で、つながりがあったのだとか。 しかし私は、徳川慶喜、と説明紙がついてた書と、松平容保、と説明されていた書に気を取られておりました・・・。 「雅而精」って書いてあって、容保の直筆です、って・・・。 下に戻って、お酒を試飲させてもらいました。 どれも美味しかったけど、梅酒がすごく甘くて美味しかった! でも、瓶持って歩くのもなあ・・・と躊躇したので、買いませんでした。 買えばよかったかな・・・。 あ、あと、入り口付近に小さい戸口があって、昔はそこからお酒を売っていたそうです。 徳利持って買いに来たりしたのかなあ・・・。 またてけてけと歩いて、鶴ヶ城へ。 桜やもみじが色づいて、大層綺麗でした。 ちょうどいいときに来た〜!と感激でした。 再建された天守閣の中はいろいろ展示がされていて、企画展は「会津の刀鍛冶」 カートを「中では降ろさないでください」と言われたので、ちょっと苦行でしたが;;; 兼定とか、三善とか・・・素敵v もっとも、私は見てもさっぱり分からないのですが。 容保様が賜った御辰筆や御製の展示(複製だったかな)もされていて、見たいと思っていたものが見られて満足でした。 こちらも、私は見て分かるわけではないのですけど;;; 天守閣の上からの眺めは素晴らしいです。 ちょうど夕暮れで、薄紫とも桃色ともつかない空に、眼下は紅葉。 広がる市街のむこうに連なる山々。 表現力がないので、もどかしいですが。 5時に閉館なので、慌ててショップで、本とか買い込み。 外に出たときは、もう日も落ちてました;;; 戊辰戦争のとき指揮をとったという、鉄門や、茶室に行けなかったのが心残り・・・! コンビニでご飯を買い、バス停が分からなかったので、ちょうど目の前にあったタクシー会社でタクシー捕まえて、ホテルへ。 東山温泉も行きたかったんですよ。 残念ながら、土方さんが入ったという温泉のところではないのですが。 大きなホテルの洋風ツインだったのですが、向かい側のお部屋は畳の旅館形式みたいだったので、一フロアで混合してるようです。 露天のお風呂は、ほとんど独占状態でした(笑) さすがに外はちょっと寒かったけど;;; 「その時歴史が動いた」の長州奇兵隊の回を見ながら、会津の夜は更けていきました・・・(笑) |
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