季節は巡り来る。
樹は理(ことわり)どうりに蕾をつけ、花をつけ、咲き誇る。
それに人が寄せる想いは、光か闇か。




桜狩り





「桜の枝って、冬の間は目立たないのに、蕾が膨らんでくるといきいきするような感じがするなあ」
跳ねるように歩きながら、花梨は小春日和の光の中に、存在を主張し始めた桜の枝を見上げた。
「上ばかり見ていると転ぶぞ」
泰継は苦笑しながら、もしも本当にそうなった場合は、いつでも手を述べられるように心積もりをして
傍らを歩いていた。

「もうすぐ咲きますよね。そうしたらお花見しましょうね」
振り返って満面の笑みで言う花梨に逆らえるわけなど、もちろんなく。
「そうだな。花見というものも初めてだ」
「じゃあ、美味しいもの、いっぱい用意しますね!」
「花より団子―か?」
「ひどーい、もちろん花を見るんですよ!でも、お花見にはご馳走が付き物なんですっ!」
ふくれる花梨を笑みとともに見遣って、「そういえば」と泰継は言い出した。
「鎮花祭(はなしずめのまつり)の祭事を頼まれている」
「花鎮め?」
「桜が散るのを疫病が流行するのになぞらえて、これを鎮めることで疫病を治めようとしたのだ」
「へえー、そうなんですか」
「頼んで来たのは、地方の旧家だが・・・少しひっかかるな」
言いさして考え込んだ泰継だが、花梨が見守っているのに気付くと、笑ってみせた。
「問題ない。それより、花見が楽しみだな」





「あれか・・・」
遠くからでもそれとわかる、大きな桜の樹を抱えるように建っているのが依頼主の屋敷だった。
暖かい地方都市のこととて、蕾はすでに綻び、辺りを薄紅に染めようとしていた。


「よくおいで下さいました。遠いところ、すみませんでした」
当主は温和そうな青年であった。
「いや、構わない。・・・ところでひとつ聞きたい」
「なんでしょう」
「個人で特定の樹に対して鎮花祭をやるのは珍しいと思うが・・・今回のみ私に依頼してきたのは何故
なのだ?」
率直に質問した泰継に、青年は顔を曇らせた。
「実は、うちは『花守』の家系です。代々春にはあの桜を鎮めてきたのですが・・・近年はやはり、伝統
も薄れていて・・・。
僕は昨年、父から家督を引き継いだのですが、僕には『花守』としての力はなく、祭祀の次第も正確に
は伝えられていないのです」
「なるほど。わかった」


ゆっくりくつろいでくれ、という当主のもてなしを断り、あてがわれた部屋で泰継は翌日の祭祀の準備
を整えていた。
部屋からも、闇になお白い桜が良く見える。

庭に下り、中心にそびえる桜の近くまで寄ると、まるで桜の傘の下に包まれているようだった。
「桜・・・か。多くの人々の心が注がれるもの・・・歌に、絵に、多くの念を託される存在であるがゆえに、
また闇をも引き受けやすい・・・」

ひとりごちた声に、不意に詠うような玲瓏とした女の声が応えた。
「あまたの者がわらわを愛し、わらわのために狂いおったわ」
「!」
桜の元に女房装束の女が現れていた。
「桜精・・・ではないな。樹を核に幾星霜の念が凝った(こごった)か」
女の紅色の唇が艶やかな笑みの形に刻まれる。
「昨今は退屈しておった・・・。わらわは美しいものが好きじゃ。」
紅匂の襲ねの袖が翻り、まだ咲き初めの桜の花びらが散る。
「そなたはとても気に入った」
楽しそうに女が笑う。
「お前に気にいられても困るが」
準備をする前にうかつに樹に近づいた自分に内心舌打ちをしながら、泰継は気取られぬように、ゆっ
くりと術の為の印を結ぶ。
「無駄じゃ、夜闇はわらわの領域、この闇のなかではそなたの力はわらわには及ばぬ」
嘲る女の声とともに、花びらがざあっと辺りを包みこんだ。
「さあ・・・おいで」
密度を持った桜花が襲い掛かってくる。
視界が闇と薄紅に閉ざされた。





「泰継さん?」
眠る前には、泰継がくれた銀の指輪を嵌めてみるのが、儀式のように習慣になっている。
普段は指に嵌めていると目立ちすぎるので、チェーンを通して首にさげているのだ。
いつものように、指輪を嵌めて、嬉しそうに眺めていた花梨は、不意にぼうっと指輪が熱
くなったのを感じた。
心臓がどくん、と鼓動を打ち、背に冷たい汗が流れる。
「嫌な感じ・・・」
なにかあったのだろうか。
泰継は花梨の気が読める、と言っていたし、危ないときには助けに来てくれる。
だが、自分には気など読めないし、今までに「虫の知らせ」など感じたことはない。
「でも・・・」
京にいた時、予感のように鈴に導かれたことがあった。
それと同じことか・・・?
花梨は落ち着かない気持ちで、眠りについた。





深い闇の中を自分は走っている。
舞い散る桜が、まとわりつくようで、息苦しい。
なんにも見えない・・・。
「泰継さん、どこ!?」
叫んでから、ああ、私は泰継さんを探して走ってたんだ、と認識する。
応える声はなく、辺りに満ちる闇は物音ひとつ立てない。
泣きそうになって、花梨は再度大声で呼んだ。
「泰継さーん!!」
ふ、と視界が切り替わるように、前方に佇む人影が見えた。
(みどり)の髪。
「泰継さん!!」
彼が振り返る・・・
しゃん、と鈴の音がした。





がばっと花梨は跳ね起きた。
本当に全力疾走したかのように息が荒い。
「行かなくちゃ・・・」
呟いた花梨は、手早く着替えると、かばんをひっつかんで部屋を飛び出した。





驚く母親を拝み倒して交通費を借り、花梨は新幹線に飛び乗った。
具体的に場所は聞いていないが、ずっと鈴の音がして、まるで方位磁石のように行くべき
方向が分かった。

駅に降り立つと、導かれるような感覚は強まり、花梨は迷うことなく進んでいった。
しばらく行くと、前方に薄紅の雲のような桜が見えた。
夕方の穏やかな光の中に、誠実な乙女のような姿で立っている。
しゃん、と鈴がひときわ強く鳴った。
「あそこ・・・かな。」

でも、どうしよう。
勢いだけで飛び出してきて、花梨は具体的な手段には思い至っていなかった。
(泰継さん、来てませんか・・・って聞いても・・・)
迷っているうちに日が傾いてくる。
「行ってみるしかない」
決心して、花梨は立派な門に囲まれた、桜を擁する屋敷に訪いをいれた。

「あのっ、突然で失礼します。こちらに泰継さん・・・阿倍泰継さん、いらしてませんか?」
唐突な少女の来訪に、対応に出たお手伝いらしき女性は目をぱちくりさせた。
「はあ、あの・・・どちらさまですか?」
「ええと・・・泰継さんに急用があって、追いかけてきたんですけど・・・」
しどろもどろの言い訳をしていると、奥から青年が出てきた。
「阿倍さんのお知りあいですか?」
「あ、はい!あっ、高倉花梨といいます。」

そのとき、完全に日が沈んで、宵闇が訪れた。
しゃりん、と鈴の音。
そして、首に下げた指輪が熱を持ったのを花梨は感じた。
「泰継さん!?」
花梨は、驚く女性と青年を置いて、庭の方へと身を翻した。







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