人は想いに狎(な)れてしまうから。 受け取ることに貪欲になってゆくから。 だから、絆と呼ばれるものは、脆く、弱い。 私はそれを嘲笑っているのだろうか― それとも・・・ もしかしたら、信じさせて欲しいのだろうか・・・ 橋姫大好きな人の誕生日ともなれば、何を差し置いても真剣になるのが乙女の常。 花梨も世の乙女の多くの例に漏れず、泰継の誕生日の随分前からあれこれと計画を練り、頭を悩ませていた。 「ケーキは・・・このガトー・モカって挑戦してみようかな。 『人生のように深みのある味』・・・。 初心者には難しいかな〜。」 お菓子作りの本をめくりながら、花梨はバースディケーキを吟味していた。 「プレゼントは何がいいかなあ・・・。この間、興味あるって言ってた本とか・・・。 でも、もう買ってるかもしれないし、お誕生日プレゼントって感じじゃないかなあ・・・。」 あちこち店を覗いて廻り、それとなく泰継に探りをいれるも、花梨は決めかねていた。 「うーん、何がいいのかなあ・・・」 特別な人の特別な日なのだ。 うんと喜んでもらいたいし、なにか気の利いた素敵なものをプレゼントしたい。 ――あの人が、極上の笑顔を見せてくれるようなもの。 その日も、あれがいいか、これがいいかと探し歩いていた花梨は、ふと目の前を煌びやかな色彩が過ぎったような気がして視線を向けた。 華やかな色目の五衣(いつつぎぬ)。 姫装束の美女が、切長の目をこちらに向けている。 目が合った瞬間、その美しい口元に微かな笑みが浮かび、ふうっと掻き消えた。 (なに・・・?) 花梨は目を擦り、もう一度見直したが、そこには繁華街の雑踏に紛れるように古びた碑があるのみ。 「・・・?」 それは、昔はここに橋がかかっていた、という名残を告げるものだった。 今は川は流れを変えられ、跡形もない。 首を傾げ、しばらくその碑を見ていた花梨だが、気を取り直してまた歩き出した。 立ち並ぶ店を眺めながら歩いていた花梨は、ある瀟洒な店のウインドウに惹かれた。 胸に手をやり、首に下げた鎖を引っ張り出す。 「そっくり・・・」 鎖には、自分の誕生日に泰継に貰った指輪が通してあった。 鳥の羽のような透かし彫りの入った、控えめだが精緻な銀の輪。 ショーウインドウの中に飾られた指輪も、男性用で少し大柄ではあるが、そっくりなデザインだった。 花梨の目が輝く。 「そうだ、私も・・・。そうと決まったら、バイトしなくちゃっ!」 「花梨、今度の日曜日・・・」 言いかけた泰継は花梨の饒舌な顔色を見て、言葉を止めた。 「・・・予定があるのだな」 「ごめんなさいっ!」 「いや、構わぬ・・・」 そう言いつつも、泰継が遊んでもらえなかった子犬のごとくがっかりしているのが、なんとなく分かる。 花梨とても、泰継の誘いを断るなんて、出来ることならしたくないのだが。 (バイト・・・って言ってもいいんだけど。 でも、やっぱり当日まで秘密にしておきたいし・・・。 言ったらどうしてなのか問い詰められるに決まってるし。 あー、でも泰継さんとデート出来ないなんて本末転倒じゃない!?) 「今日も、この後用事があるのだったか?」 「う、うん・・・。ほんとごめんなさい。せっかく泰継さんが時間空いたのに・・・」 放課後、泰継が仕事が早く片付いたからと、花梨に会いに来たのだったが。 「急に来たのだから、仕方がない。送っていこう」 「う、ううん、大丈夫。じゃあ、また今度っ」 走って行ってしまう花梨の後ろ姿を見つめて、泰継は軽くため息をついた。 放課後の校門のところに、泰継が佇んでいると、本人にその気はなくとも人目を引くことこのうえない。 ちらちらと投げられる視線をものともせず、泰継は花梨を待っていた。 このところ、なんだかんだと花梨に会えずにいる。 花梨は学校があるし、自分は陰陽師としての仕事の依頼で留守にすることも多い。 ただでさえもどかしく感じるのに、最近は花梨が「今日は用事が」と言って、袖にされることが多い。 今すぐ、花梨の笑顔が見たい。 そんな思いが抑えきれなくなって、泰継は入っていた仕事を問答無用で片付けて、花梨の学校までやってきたのだ。 ふ、と花梨の明るい気が近づいてくるのが分かった。 「花梨・・・」 声を掛けようと校門のほうを振り返った泰継は、花梨が同じ制服を着た少年となにか笑いあいながら校舎を出てくるのを目にした。 咄嗟に、泰継は二人の視線からは外れるような位置に退がった。 「じゃあ、また後でな、高倉」 少年が笑って手を挙げる。 「うん、分かった」 花梨も同じように手を挙げ、笑顔で答える。 泰継は自分の顔が凍りつくのを自覚した。 そっと、身を翻す。 自分に向けられたのではない、花梨の笑顔が、胸を鋭い痛みとともに過ぎった。 泰継の誕生日前日。 「やった〜!目標額達成〜!」 花梨は尊い労働の代償を握り締めて、例のウインドウに飾られた指輪を求めに行った。 シックな茶のリボンをかけてもらった小さな箱はとても軽いが、花梨にとってはこのうえなく重みのあるものだ。 掌に納まる小さな箱を大事に胸に抱いて、花梨は店を出た。 意気揚揚と、泰継に電話をする。 「あ、泰継さん」 「花梨か」 「ねえ、明日、行ってもいいですか?」 「・・・明日は依頼が入っているので、おそらく夜中まで外に出ているが・・・」 「あ・・・。そう、なの」 トーンダウンした花梨の声に、泰継が訝しげに訊いてきた。 「何かあるのか?」 「ううん、また今度でいいです」 (お誕生日当日でなきゃ駄目ってことないもんね・・・私がこだわってるだけで) 「じゃあ、また・・・」 電話を切った花梨は、勢いが空振りして、ため息をついた。 (せっかくお誕生日に間に合うように、頑張ったのに・・・ううん、だめだめ、泰継さんは仕事なんだから) 「でも、やっぱり・・・会いたいな・・・。」 (夜中過ぎてもいい。当日じゃなくなっても・・・。泰継さんのマンション行って、お祝いの準備して待ってよう。) そう心を決めて、花梨は食材を買い込みに、スーパーへと足を向けた。 当日、泰継の部屋に花やらお祝いのご馳走やら持ち込んで、花梨は張り切ってセッティングをした。 ちゃんとケーキも準備できている。 何度も練習して、ババロア部分が上手く出来るまで失敗の繰り返しだったが。 「上手くできた・・・よね」 努力の結晶である、ケーキと。 ラッピングされた小さな化粧箱を眺めて、花梨は小さく満足の笑みを浮かべた。 「喜んでくれるかな・・・」 だが、なかなか泰継は帰ってこない。 (難しい仕事なのかな・・・。最初から遅くなるって言ってたし・・・) 日付が変わっても、いっこうに帰ってくる気配がない。 花梨は何度も食卓の上に準備したご馳走と、掌の中の小箱を眺めて、ため息をつきそうになるのを堪えた。 「勝手に来ちゃったんだもん、しょうがないよね・・・」 なんとなくじっとしていられなくなって、花梨はマンションのエントランスの外へ出た。 それ程高層ではないが、瀟洒な印象のあるこのマンションのアプローチ部分は水の流れるウオーターガーデンになっている。 水に沿って歩きながら、花梨は空を仰いだ。 「泰継さん・・・」 「待っていても帰ってこぬと思うがなあ」 玲瓏と澄んだ声が、背後からかかった。 月を見遣っていた視線を振り向けると、姫装束の女が佇んでこちらを見ている。 先日、雑踏の中に見かけた美女だった。 「誰?」 「人に訊く前に自分が名乗るのが礼儀ではないか?」 困惑しながらも、花梨は素直に答えた。 「高倉花梨です。・・・あなたはどなたですか」 「私は・・・そうだな、『橋姫』と呼ばれることもある」 さらりと長い黒髪を払って、嫣然と美女は答えた。 「『橋姫』って・・・」 「人はいろいろ言うがな。特に宇治の私の眷属は男女に嫉妬して縁を切るだの、鬼女だのと・・・橋を守ってやっているのに、口さがのない」 拗ねたように橋姫は横を向いたが、すぐに花梨に向き直ると美しい唇に笑みを浮かべた。 「私は女に肩入れをするだけだよ。・・・そなたの心も知らず、男が何をしていたか・・・見せてやろうか?」 「え?」 「そこの水鏡を見てみるがいい」 白い指が指し示した水の面が、凍ったように固まり、像を結んだ。 「これって・・・」 呪詛の黒い影が、どこぞの令嬢らしき少女に襲い掛かろうとしている場面が現れる。 影の手が少女を捉えようというそのとき、その身を腕の中にかばったのは― 「泰継さん・・・」 花梨は硬い声で呟いた。 橋姫がそっと肩を抱いて囁く。 「しかと見たか?」 花梨は身を翻し、エントランスへ駆け戻った。 「おやおや・・・」 橋姫は微笑を浮かべたまま、その背を見送っていた。 部屋に戻った花梨は、乱れる心をなんとか落ち着けようと、ソファに座り込んだ。 胸に下げた指輪を、そっと抑える。 振り払っても、すぐにまた脳裏には先程見せられた水鏡の像が浮かんでくる。 そのとき、玄関が開く物音がした。 ぱっと立ち上がった花梨が、玄関まで走っていった。 「花梨?来ていたのか。遅くなると言ったのに―」 そう言いながら上がってくる泰継の手には、リボンのかけられた包み。 「おかえりなさい」を言いかけた花梨の表情が固まる。 「泰継さん、それ・・・」 「今日行った先の依頼主が、礼だと言って寄越したのだが・・・」 怒りとも、悲しみともつかない衝動が肺を満たし、気がついたときには 「馬鹿!」 と叫んで花梨は走り出していた。 涙が溢れて、視界が霞んだ。
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