一面の花野の中に立つ彼は、寂しそうに見えた。 ほの白い光の中で、僅かに微笑んだ口元が言葉を紡ぐ。 揺るぎなく、僅瑕のない花々は美しいのに、今は息苦しい。 それでも、私はじっと孤独な瞳を見つめていた。 花野の客ぎい、と軋むドアを、おそるおそる開けて、花梨はそっと身を滑り込ませた。 薄暗い店内は、時が降り積もったかのように、静かで埃くさい匂いがする。。 花梨には見ても価値が分からないが、細々と並べられた商品は、古道具というよりは骨董と言うべきもののように見えた。 (・・・た、高いかなあ) 内心冷や汗をかきつつ、目当ての物にそっと近づく。 花梨が、普段ならば縁のない骨董店に来たのは、飾り窓に飾られた小箱に惹かれたからだった。 しっとりとした黒い塗りに、螺鈿で精緻に作れらた文様は、春の野の花。 「そちらは昨日入ったばかりなんですよ」 穏やかな笑顔を浮かべた初老の店主が、奥の番台から出てきて声をかけた。 「お若いお嬢さんが、珍しいことですね」 「え、ええ」 実のところ、花梨は泰継にプレゼントしようと思ったのだ。 すっかり現代にも慣れて、何事もそつなくこなす泰継ではあるが、やはり好みというものは残るのか、たまに部屋に古めかしい小物が増えていたりする。 (泰継さんってば、あんまり物を欲しがらないし、バレンタインに下手なものあげるよりこういうのがいいかなって思ったんだけど・・・) 女子高生のお財布では心許ないかもしれない。 「あのお・・・これって高い・・・ですよね?」 「こちらは由来が定かではありませんし・・・さほどではありませんよ。 お若い方に興味を持っていただけるとは、嬉しいことですね」 (京に居た頃みたいに、これに文とお花を入れて贈るのもいいな・・・) そんな様を想像してみると、この贈り物はしっくりくるように思えた。 結局、店主に随分とまけてもらって、なんとか花梨はそれを手に入れたのであった。 ふわり、と微かに風が吹くと、草と花の優しい香りがする。 (ん・・・) ころん、と寝返りを打って、花梨はぼんやりと目を開いた。 (あれ・・・? なに、ここ?) 目に入ったのは、柔らかな草の葉。 小さな花の、白や黄や紫の色。 身を起こすと、辺りは一面に若草色の野原だった。 (・・・ええと・・・?) 訳が分からなかったが、京に召喚されたり、戻ってきてからも何かと怪しげな目にあうことの多かった花梨は、あまり動じなかった。 (変なとこばっか、慣れちゃったかな〜) とりあえず、辺りの様子を見ようと、花梨は立ち上がった。 見渡す限りになだらかな丘のようで、穏やかな色彩が続いている。 草を踏む軽い感触を感じながら、斜面の上のほうへ歩いていく。 そして、ふと視線を向けた先で、花梨の視線は釘付けになった。 風に長い銀の髪を揺らめかせ、空に手を伸べている長衣の男性。 とっさに泰継を思い浮かべた。 髪の色や着物は違うが、初めて京で泰継に逢ったときを思い起こさせたからだ。 あのときも、気付いたら見覚えのない山の中に居た。 そして、式神を操っている泰継に遭遇したのだ。 男が、あのときの泰継と同じように、ゆっくりと振り返って尋ねた。 「何者だ? 微かだが、ただの人ではないような気配がするな」 整った顔立ちだけに、無表情にも思える青年は、声も淡々と抑揚がなかった。 (そういえば、あのときは私もびっくりしちゃって・・・ でも、結局助けてもらったし・・・。泰継さん、なんだかんだで面倒見よかったんだよね・・・) そんなことに思いを巡らせ、返事のない花梨に、青年は訝しげに首を傾げる。 「耳が聞こえないのか?」 「あ、ご、ごめんなさい。 私は高倉花梨です。」 「そうか。 ・・・こんなところで何をしている?」 問われて、今度は花梨が首を傾げた。 「ここはどこなんですか? 気がついたら、ここにいて・・・。」 「ここがどこかは私も知らぬ。 ・・・あるいは常世なのだろうか。 なにしろ、ここはずっとこうなのだ。」 「こう?」 「常に花が咲き、散ることもなく、変わらない」 どこか遠くを眺めるような目つきで、青年は野原を見渡した。 「・・・あなたは」 「・・・名は忘れた。あまりにも長いこと、ここにいるのでな」 その淡々とした口調とはうらはらに、孤独を宿した透徹した瞳が、花梨の胸を刺した。 変わらない白々とした世界に、風が吹き渡り、花びらを舞い上げる。 はらはらと舞う花の中で、青年は一幅の絵のように立ちつくしていた。 「あら、ごめんなさいね、花梨ったら起きてこないのよ」 14日は会える?とメールで控えめに訊ねられて、何を置いても花梨優先な泰継はすぐにスケジュールを調整して、花梨の家に迎えに出向いていた。 だが、玄関先に出てきた花梨の母から、困惑気味に謝られてしまった。 「お迎えに来てもらっといて、起きないなんて、あの子ったら・・・。 ちょっと入ってお茶でも飲んでてね。 すぐ起こすから」 「いえ、疲れているようなら、寝かせておいてください」 花梨母の誘いを丁重に断り、泰継は花梨の家を辞した。 だが、そのまま角を曲がると、花梨の部屋の窓が見えるほうへと足を向ける。 塀の向こう、ささやかな木立に隠された部屋の窓は、カーテンが閉まっていたが、細く開けられていた。 泰継はじっとそちらに目をやる。 「妙な気配はないようだが・・・ん、いや、微かだが・・・」 また何か面倒なことに巻き込まれているのか、と溜息をついて、泰継は上着のポケットに手を伸ばす。 そこから、式を打つための紙を取り出し、宙に投げた。 瞬時にそれは鳥に変わり、窓に向けて飛んでいく。 するりと鳥が中に入り込むのを確認すると、泰継は目を閉じた。 式に意識を重ね、式の見ているものを、まなうらに見る。 壁際に寄せられたベッドの上で、花梨は深く寝入っている。 傍目には、何の変哲もなく眠っているだけのようだが、泰継は花梨の意識がどこか別のところにあるのを感じた。 「花梨・・・?」 さして広くない部屋の中を見渡すと、ちり、と感覚に引っかかるものがあった。 布に包まれて、机の上に乗せられているそれから、微かな気配がする。 (・・・思念・・・?) 泰継は、式に命じてそれを持ち出させた。 包みをくわえた鳥が、泰継の手元まで飛んできた瞬間、紙に戻る。 「道端ではまずいな・・・」 あまり長時間、意識を飛ばしているわけにはいかない。 一度、花梨の部屋の窓に目をやると、泰継は包みを手にして、自室へと足を向けた。
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